第478話

 瑛斗えいとがマッサージを受けているその頃。隣の部屋では、奈々ななが同じように揉みほぐされていた。


「ふぅ……気持ちいい……」

「そう言って頂けると光栄です♪」

「自分でも気付かない疲れってあるんですね」

「遠出する旅行は楽しい反面、はしゃぎ過ぎて体に疲労が溜まりがちですからね」

「んん、もう少し強くお願いします」

「かしこまりました」


 こちらのマッサージ師である城谷しろたにさんは、屋敷やしきさんの言っていた通りりフェチだ。

 しかし、自分で気持ちの制御が出来るタイプであるため、奈々もそのことは知らずに安心して心地良さにうつらうつら出来ている。


「ところで、ご一緒に来られた方はお兄様ですか?」

「そうなんです」

「随分と仲がよろしいんですね」

「ふふふ、そう見えます?」

「はい、とても。私の兄とは大違いです」

「城谷さんにもお兄さんがいるんですか?」

「昔は仲良しだって近所でも評判なくらいだったんですけどね。思春期を迎えるとどうしても……」


 そんな話を聞いていると、奈々も中学一年生の頃の自分を思い出してしまう。

 自分とは違ってのんびりとした性格だった兄にイラッとして、八つ当たりすることも何度かあった。

 そういう時期だと言われてしまえばそれまでだが、今の彼女からすれば消せない心のあざである。

 引きこもりになる様な出来事が無ければ、きっとお互いの距離はどんどんと開いて閉まっていただろう。ごく一般的な普通の兄妹のように。


「私は今でも兄のことが好きなんですけどね。真似ばかりしているうちに、いつの間にか呆れられちゃったんです」

「真似?」

「同じ学校に通うだとか、同じ趣味を嗜むだとか。出来るだけ一緒にいたかっただけなのですが、兄からすれば鬱陶しかったみたいで」

「城谷さんの気持ち、すごく分かります。一緒にいられる時間は限られてるんですもんね」

「そうなんですよ! それなのにお兄ちゃんったら、『自分のやりたいことは無いのか』って怒ったりして――――――――――」


 城谷さんはそこまで言うと、ハッとしたように口元を押さえて「すみません、ベラベラと……」と頭を下げる。

 しかし、滅多に聞けない他の妹の話が聞けたことが嬉しい奈々は、首を横に振って大丈夫という意思を示した。

 それから「でも……」と口を開くと、少し考えたことを呟いてみる。


「城谷さんのお兄さん、嫌いだから離れたわけじゃないと思いますよ」

「そうなんですかね?」

「だって、嫌いならやりたいことなんて聞きませんよ。突き放してそれで終わりです」

「言われてみると兄の言葉があったからこそ、私はこうしてマッサージ師になろうって決めたんです」

「きっと、お兄さんは心配してくれてたんです。自分の後ばっかり追いかけている妹は、本当に自分の人生を歩めているのだろうかって」

「……そうだったんですね」

「まあ、完全に妄想ですけど。私は妹を嫌いな兄なんていないって信じてますから」

「お兄様のこと、すごく信頼されているんですね」

「世界一のお兄ちゃんなので♪」


 そう言いながら、自然と笑みがこぼれる。自分がどれだけ兄のことが好きなのかを再認識できたから。

 信頼関係も、気持ちの大きさも、きっと紅葉くれは麗華れいかに負けていないし、一番よく知っているのは自分だという確信があった。

 そうであっても、妹という目線で兄を見ている城谷さんに向かって、自分は異性として兄を見ていると打ち明けることを躊躇ってしまう。

 その時点で覚悟が足りない、資格がないと思えてしまって、やはり一歩引いた目で自分自身を見ていることに気が付いた。


「……一度でいいから妹って肩書きを忘れて恋をしたいな」


 そんな独り言を呟いた彼女は、解す場所が腰へと変わった数十秒後、眠気が限界を迎えてゆっくりと意識が深いところへと落ちていくのであった。

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