第275話
「ほら、もっと強く揉んで」
「こうですか?」
「そう。
「ありがとうございます」
そんな会話をしつつ、僕はお姉さんに手取り足取り教えてもらいながらハンバーグをこねていく。
キッチンカウンターの向こう側から顔を覗かせている
「ボウルの縁についたのもちゃんと集めて。大きく混ぜてから、ぐちゅぐちゅって握りつぶすように」
「耳元で囁く必要あります?」
「この方が覚えが早いって聞いたの」
「そういうものですかね」
「お姉さんを信じなさい!」
彼女はそう言ってクスクスと笑うと、「あっ、ちょっと待ってね」と僕から離れる。何やらお腹を押えているけれど、まさか体調不良だろうか。
「大丈夫ですか?」
「ちょっと……お花を摘んできてもいいかな?」
「大丈夫ですよ」
「そうだ! 奈々ちゃんはハンバーグ作れるわよね? 代わりに教えてあげてくれる?」
突然役目を任された奈々は驚いた顔をするも、何やらお姉さんからウィンクをされると「わ、わかりました!」とやる気を出し始めた。
「んじゃ、よろしく!」
「ごゆっくり〜♪」
扉の向こうへと消えていく後ろ姿を笑顔で見送り、鼻歌を歌いながらキッチンへと入ってきて僕の後ろに立つ彼女。
「じゃあ、しっかり教えてあげるね」
「もう理解出来たから大丈夫」
「むぅ、大人しく教えられて?」
「わかった、お願いするよ」
「えへへ♪」
奈々は心底嬉しそうに微笑むと、お姉さんがしていたのと同じようにピッタリと体を密着させ、左手首をがっしりと掴んでくる。
「どうして右手は恋人繋ぎするの?」
「料理に愛情を込めるためだよ!」
「なるほど」
「あと、単純にしたいのもあるけどね」
「そうだと思った」
兄として妹の希望を叶えてあげたい気持ちは山々だが、片手では混ぜづらいので一度離してもらうことにした。
代わりに後でするという約束を取り付けられたけれど。まあ、お風呂なんかに比べたら簡単なお願いなので良しとしよう。
「こんな感じだよね?」
「そうそう、ちゃんと下まで混ぜれてるよ」
「料理って思ったより大変だね」
「ふふ、お兄ちゃんが一緒にしてくれたら、私は全然大変なんて思わないよ?」
「そう言われたら、断るわけにはいかないよね」
奈々がいいと言ってくれるのに甘えて、料理も買い物も任せっきりになっているし、さすがに働かなさすぎかもしれない。
反省してこれからはちゃんと一緒にするようにしよう。妹の兄離れを考えるのなら、いつまでも頼るわけにはいかないわけだし。
「はい、これで混ぜるのは終わりかな」
「次は丸める?」
「空気抜きしながらね。お兄ちゃん、出来る?」
「やったことないかな」
「ふふ、今日覚えちゃおっか♪」
彼女は楽しそうに笑いながら練り終えたばかりのお肉をいくらか手に取り、お手本を見せてくれた。
見よう見まねで僕も試してみるけれど、慣れている奈々のように速くは出来ない。
「ゆっくりでも大丈夫、ちゃんと空気は抜けてるよ」
「それなら良かった」
「次は焼く時間だね」
「なら、手を洗おっか」
僕がそう言って流しに向かおうとすると、「待って!」と彼女に立ちはだかられてしまう。これでは手を綺麗にできない。
「恋人繋ぎの約束!」
「今なの?」
「ダメ、かな?」
「……わかった、したら手を洗わせてもらうからね」
よく分からないが、どうしても今がいいと言うのなら言うことを聞いた方がいいだろう。そう判断して、差し出された手に自分の手を重ね合わせた。
すると、奈々の細い指が自分の指と指の間に入り込んできて、ギュッと強く握りしめられる。
「すごいヌルヌルだね?」
「油で汚れちゃってるからね」
「ふふ、面白い♪」
ハンバーグをこねていた時よりも少し高めのぐちゅぐちゅという音が、キッチンの中で何度も何度も繰り返して鳴った。
初めは僕もなんとも思わなかったけれど、奈々の息が荒くなり始めたあたりから少し悪いことをしているような気分になってくる。
不思議だよね、手を繋いでるだけなのに。
「お兄ちゃん、何か感じない?」
「何かって?」
「このヌルヌルした感じ、何か思うことはない?」
「よくわかったね」
「ふふふ、今ならお兄ちゃんの考えてること、私がしてあげてもいいよ?」
「ほんと?」
「うん♪」
「じゃあね―――――――――――――」
その後、考えていることをそのまま口にしたら、奈々にものすごく呆れられてしまった。
おまけにそういうことはしてあげないとまで言われる始末。どうしてなんだろう。
僕はただ、『全身油まみれなら、廊下とか滑れそうだよね』って言っただけなのにね。
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