第280話

瑛斗えいと先輩、助けてぇ〜」

「いきなりどうしたの」


 とある日の放課後。紅葉くれは麗華れいかが2人で買い物に行くということになり、久しぶりに一人で帰宅しようかと思っていた時、カナが教室に飛び込んできた。


「バイトが辛くて行きなくない〜!」

「あれ、バイトなんてしてたっけ?」

「先月から始めたんだよ」

「へえ。そんなに辛い仕事なの?」


 そう聞いてみると、カナは「内容は簡単だけど、シフト入れすぎたんだ〜」とスマホの画面を見せてくれる。

 確かに日曜日以外毎日数時間は入っている。今日なんてこれから夜までバイトだ。どうしてこんなことになったのだろうか。


「お金が必要なら少しなら貸せるけど」

「今すぐ必要ってわけじゃないよ。冬にまた短期留学に行くつもりなんだけど、親がお金を出してくれないからさ」

「喧嘩でもしたの?」


 そう聞くと、彼女……いや、彼は首を横に振って見せた。それから、この教室が二人きりだと気がつくと、こほんと咳払いしてから男バージョンに変えてくれる。


「いえ、親は留学に反対してるんです。国内でも英語は学べるだろうって」

「前から思ってたけど、留学までしてカナは何か夢があるの?」

「えへへ、一番の夢は先輩のお嫁さんですけど……」

「二番目は?」

「もう少し喜んでくれても良くないです?」


 僕が首を傾げると、彼は「まあ、いいです」と短くため息をついてから、もう一度スマホを操作して画面を見せてきた。


「ボク、留学中に水不足を無くす団体を見学したんです。なんだか、自分が当たり前に蛇口から出る水を飲めるのって、幸せなんだなって思えちゃって」

「将来はそういう活動がしたいってこと?」

「現地に行かないとしても、物資の支援をするだとかは国内でもできますし。そういうことの出来る会社を作りたいなと」

「すごいね、そこまで考えてるんだ」

「えへへ♪ ボクが留学するのは勉強のためだけじゃなく、将来のために世界をこの目で見ておくためなんです」

「ご両親にもそう説明した?」

「しましたけど、水不足よりもボクのことが心配みたいで……」

「難しい親心だね」


 僕からすれば、カナの言い分もご両親の言い分も理解出来てしまう。

 留学しに行く場所は比較的安全な地域だろうが、水不足問題のための活動を見学するとなるとそうはいかない。危険な場所にだって立ち入るかもしれないのだ。

 そう考えれば、子供の夢を遮ってでも安全の保証された我が家にいて欲しいと思うのが親として当然のことだろうから。


「それで、何のバイトをしてるの?」

「本屋の店員です」

「それはまた良さそうなバイトだ」

文々堂ぶんぶんどうって知ってます?」

「あ、本屋と文房具屋さんが一緒になったところ?」

「そうですそうです!」


 文々堂と言えば、地域の小学生がみんな下敷きやら鉛筆やらを買いに行く場所である。

 コンビニより少し安い値段で売ってくれるので、母親たちからも支持されるいい店なのだ。

 300円以上買うと飴をくれることでも有名だったなぁ。舐めてると色が変わる飴で、激レアな赤を探して毎週通っていた記憶があるよ。


「あれ、でも閉店したって聞いたけど」

「店主が階段から落ちて入院したんです。そんな時にボクと他2人がバイトに応募したので、何とかギリギリ耐えた感じですね」

「もしかして、こんなにシフト入れたのって……」

「空いてる時間はボクがやるしかないですから」


 ああ、なんていい子なんだろう。子供たちの好きな店を守るために、自ら辛い思いをしてまでバイトを頑張るなんて。


「まあ、レジ前に座ってるだけで時給1300円ですし」

「え、高くない?」

「『もしも自分が辞めたら?』って言ったら上げてくれました」

「……前言撤回、カナは悪い子だったよ」

「そ、そんな目で見ないでください! ボクだって留学のために必死なんですから!」


 店の弱みに漬け込んだところは悪いが、留学の事を言われると僕も何も言えない。

 カナを含める3人のバイトが放課後に本の整理などをしてくれて、店が助かっているのは事実みたいだし。

 でも、どこからそんな時給が出ているのだろうか。店主、実は油田でも抱えてるのかな。


「あれ、そんなにいい条件なのにバイト辛いの?」

「あ、本題はそれなんです!」

「すごくいいバイトに聞こえるけど……」

「いやいや、客も少ないので暇で仕方ないんですよ。居眠りした時に限って怖い客が来ますし」

「居眠りはダメだよ」

「穏やかな店内音楽のせいです!」


 僕は「どうして子守唄なんですかね……」とため息をつくカナに、「それで、僕に何を助けて欲しいの?」と聞いてみる。

 すると、大方予想通りの答えが返ってきた。


「今日だけでいいので、バイト中の話し相手になってくれませんか?」

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