第72話 能ある乙女は好意を隠す

 ようやく本来の目的であるジェクシーに辿り着いた二人は、麗子れいこおすすめの一冊に目を通し始めた。

 その内容は、コンビニで言っていた女性には必須だのなんだのという言葉を、今の今まで少し疑っていた紅葉くれはすら黙ってしまうほどに濃密で眩しいもの。

 今おすすめのコーディネートのコーナーになんて、背が低い人向けのファッションまで掲載されていた。

 これまでの人生、よくこれ無しで生きてこれたなと思うほどである。


「特に見てもらいたいのがここですね」


 そう言って麗子が開いたのは、『今すぐ使えるモテテクニック』という特集ページ。

 正直、紅葉はこういうのはあまり信用していない方だったが、雑誌の面白さを知った今なら少し興味が湧いている。


「好きな人の視界にはなるべく映るように、ね。確かによく見かける相手って気になるわ」

「そうでしょうそうでしょう。ジェクシーは女性の心理をよく分かってるんです」

「目が合ったら三秒経ってから逸らす、なんてのもあるわ。普通、好きな人なら目を合わせたいものじゃないの?」


 首を傾げる紅葉に「まだまだですね」と指を振った麗子は、試してみましょうと少し離れてから自分を見るように伝える。

 そしてあたかも偶然目があったようなフリをすると、三秒経ってから突然ふいっと顔を背けてしまった。


「どうでしたか?」

「目を逸らされたはずなのに、何だか嫌な気がしないわ」

「そうなんです! すぐに逸らすと嫌われていると勘違いさせてしまいますが、三秒という時間はつい見蕩れてしまったという演出にはちょうどいいのです」

「やるわね、ジェクシー」

「やるんですよ、ジェクシーは」


 女の自分でもドキッとするのだから、男の子がされたら勘違いしないはずがない。

 まあ、瑛斗えいとなら何とも思わない可能性があるところが怖いけれど。

 しかし、ジェクシーには目を合わせる回数を増やすことも効果的だとも書いてある。

 相手に自分が意識しているということを伝えると、向こうから関わりやすかったりするため、紅葉のように積極的に行けないタイプには適した作戦なんだとか。


「これが一番おすすめですね」

「どれ?」

「ここのやつです」


 手招きした麗子の手元をのぞき込む。そこには『胃袋を掴もう』という見出しと成功率が高いという表記が書かれてあった。


「胃袋を……?」

「男性は料理の美味しい女の子の方が、美味しくない子よりも好む傾向がありますから。それに料理はかなり万能なんですよ」

「と言うと?」

「料理を振る舞う時、家に招けば二人きりのドキドキが味わえます。さらに家が綺麗だと清潔感もアピール出来ますよね」

「なるほど。使い終わったお皿を洗えば、家事力も見せられるわよね」

「それに、トラブルを演じて完成を遅らせれば、相手の帰る時間を遅く出来ます。そこで言うんです、『泊まっていきませんか』と」

「な、なんて大胆な女なの?!」

「ですが、胃袋だけで満足出来ますか?」

「くっ……その通りだわ……」


 美味しいものを食べて落とせるなら誰も苦労しない。肝心なのはその後、いかにして絆された相手の心の隙間に入り込むか。

 そんなことを考えていると、ふと紅葉はとあることを思い出した。


「そう言えば、この前カレーを作って持って行ったわ。あの時がチャンスだったのね」

「……抜け駆け発言は気になりますが、良い機会を逃しましたね」

「って、どうして瑛斗を落とす前提で話してるのかしら。私は別にそんなんじゃ……」

「え? 違うのですか?」

「そ、そう聞かれたら違うくないというか、好きだけど恋愛的なのかどうか……」

「料理を振舞っておいて、その先のもっと親しいことはするつもりはないと?」

「もっと親しいこと……?」

「決まってるじゃないですか。―――――です」


 聞き返したことの答えを麗子に耳元で囁かれた紅葉は、瞬く間に顔を真っ赤にする。


「あ、あれはそんな意味じゃ……」

「ジェクシーにはそういう作戦が書いてありますけどね」

「お詫びのつもりだったんだもの! そんな、瑛斗と……なんて……」


 見た目の幼い彼女は、どうやら心の中もまだまだ幼いようだ。

 恥ずかしさで完全にのぼせてしまい、軽く混乱状態に陥った紅葉は、麗子の静止も聞かずに突然走り出した。

 そしてあれだけ危険だと言っていた暗闇通路へと飛び込むと、そのまま一直線に元いた部屋まで駆け抜ける。

 その背中を見つめて立ちつくしていた麗子が、「……セキュリティの強化が必要ですね」と呟いたことは言うまでもない。

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