第451話

 萌乃花ものかに体を拭いてもらった後、僕は先輩たちから『ブレザーの方のテストもある』と言われ、結局夕日が沈みかける頃まで女装姿のまま手伝うことになってしまった。

 そして、慣れない仕事で疲れ果てた体を癒した夜が明け、いつも通り昼食を済ませたお昼休みのこと。

 何やら廊下が騒がしいと教室から顔を出した僕は、昨日知り合ったあの人の姿を目撃する。


瑛子えいこちゃん、居ないの〜?」


 墨ヶ屋すみがや 芽衣めいさんだ。彼女が探しているのは瑛斗えいとではなく、女装中の瑛子であるようで、もちろんそんな生徒は存在しない。

 だからいくら探しても見つかるはずは無いのだが、もしも顔を見られたらバレないとも限らないのだ。


「瑛子? そんな子いないと思うんやけどなぁ」

「私も知らないね。他のクラスの子じゃない?」


 近藤こんどうさんと紫帆しほさんが対応してくれているみたいだけれど、僕がB組だと答えたことを鮮明に覚えているらしい彼女は納得がいっていない様子。

 芽衣さんは渋々諦めて教室から出てくると、今度はA組の方へとやってくる。

 その姿を見た僕は慌てて机に戻ると、顔を見られないように寝たフリ作戦を決行した。

 そうして耐えること数分、ようやくいないと判断してくれたのか、彼女は自分のクラスへと帰っていく。

 それと同時にザワザワも収まり、紅葉くれは麗華れいかも戻ってきた。


「えいこーえいこーって言い回るものだから、ラーメンつけ麺芸人が来たのかと思ったわよ」

「……そうだね」

「大丈夫ですか、瑛斗さん。顔色が悪いですけど」

「あはは、なんでだろう……」


 2人がやたら心配してくれるが、どうやらこの少ない判断材料では女装の件がバレることは無さそうだ。

 ただ、しゅんとした悲しそうな後ろ姿で引き返していく芽衣さんを、僕はこのまま放置していいのかと自問してしまう。

 いくら自分の保身のためとは言え、瑛子を友達だと認めてくれた彼女の優しい気持ちを、僕は本当に踏みにじっていいのだろうか。


「……いや、ダメだ。ちゃんと責任は取らないと」

「ん? 責任がどうかしたの?」

「瑛斗さん、熱でもあるのでは……」

「大丈夫、問題ないよ」

「念の為に確認しておくわよ」

「何かあったら大変ですから」


 その後、どちらのおでこを使って熱を測るかで喧嘩し始めた2人を眺めているうちに、休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴るのであった。

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 同日の放課後、紅葉と麗華には用事があると言って先に帰ってもらった僕は、大急ぎで手芸部の部室へと向かった。

 そこで事情を説明して昨日と同じ制服に着替えさせてもらい、まだ帰っていないことを信じながら芽衣さんの教室を覗く。

 すると、運のいいことに彼女だけが教室に残っていて、ちょうど帰る準備をしているところだった。


「あの、芽衣さん」

「おわっ?! びっくりしたぁ……」

「そんなに? ごめんね」

「あはは、瑛子ちゃんかぁ。もしかしてこの前の約束を守りに来てくれたのかな?」

「そんなところかな。やっぱり今からじゃ遅い?」

「ううん、大丈夫。テスト前になって部活もないし、どうせ帰って勉強しようと思ってたところだから」

「それなら良かった」


 僕たちはお互いに頷いて向かい合うように座ると、分からないところを教えてあげたりしながら、あくまで『女子だけ』の勉強会を進めていく。

 ようやく数学が一通り終わってペンを置いた時には、既に空の色はオレンジに染っていて、照らされた教室内も冬に似合わない温かな雰囲気になっていた。


「今日はここまでにしようか。もう暗くなっちゃうし、家まで送っていくよ」


 そう言いながら荷物をまとめて立ち上がった僕は、同じくカバンを肩にかけた芽衣さんを見る。

 しかし、彼女はゆっくりと首を横に振ると、「そんな男らしいこと言わないでよ」と呟いた。


「……え?」


 思わず返す言葉を失う僕に対して、彼女は笑っているのか泣いているのか曖昧な表情を浮かべながら言うのだった。


「最後まで女の子でいてよ、瑛斗くん」

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