第282話

「今日はありがとうございました」

「いやいや、久しぶりにカナとたくさん話せて嬉しかったよ」

「えへへ、ボクも嬉しいです♪」


 バイトが終わった後、僕はカナを駅まで送ってから自宅へと向かった。

 彼の「また来てくれますか?」という質問に頷いちゃったけど、あまり頻繁に行くのは難しいだろうし、いつ行くかは今度相談しようかな。


「すっかり暗くなっちゃったよ」


 ついついそんな独り言をこぼしたくなるほど、他に人のいない帰り道。

 道路は住宅から漏れる明りと街灯が照らしてくれるからそこまで暗くはないけれど、僕が女の子だったら後ろとか確認しながら帰るね。

 そんなことを思った矢先、聞こえてくる足音に違和感を覚えて立ち止まった。

 微かに自分のとはズレている、もうひとつの足音があるように思えたのである。


「……?」


 振り返って確認するが、人の姿は見当たらない。自分に着いてくる理由も分からないし、単なる勘違いということだったのだろうか。

 そう思い直して歩き出そうとした瞬間、前方から全速力で駆けてくる存在に気がついた。


「お兄ちゃぁぁぁぁぁぁぁん!」

奈々なな、どうし―――――――っ?!」


 どうしてそんなに走っているのか。そう聞き終える前に勢いを殺すことなく突進され、そのまま近くの塀に押し付けられて壁ドンされる。

 この壁はコンクリート製、打ち付けた背中が普通に痛いが、妹の真剣な目を前にすれば文句は言葉に出来なかった。


「お兄ちゃん、どこ行ってたの?」

「カナのバイト先だよ。暇だから来てって」

「もう、私がどれだけ心配したか分かってる?!」

「ごめん、連絡するべきだったよね」


 そう謝るも、奈々の不満は収まらない。ぷぅっと膨れさせた頬をちょんちょんとつついてみれば、少しくすぐったそうに微笑んでからまた真剣な表情を作り直した。


「怒ってるんだからね?」

「謝ってもダメ?」

「ダメ。ご飯用意してずっと待ってたんだよ?」


 彼女の言葉に、ひとりぼっちで食卓に座り続ける様子を想像すると、何だか切なくなって胸がチクチクと痛んだ。

 そうか、自分は奈々にそんな思いをさせてしまったのか。そう思えば確かに言葉だけでは物足りない。


「わかった、明日お兄ちゃんは奈々のして欲しいことを全部する。それで許してくれない?」

「朝からギューも?」

「するよ」

「お風呂は?」

「隠してくれるなら考える」

「……わかった」


 彼女は嬉しそうに笑うと、僕を壁ドンから解放して手を握ってくれる。どうやら許してくれたらしい。

 我が妹ながら本当に単純だとは思うけれど、そういうところが可愛らしいから憎めないよね。


「じゃあ、今からお願いしてもいい?」

「いいよ、言ってみて」

「私、お兄ちゃんとの子供が――――――――」

「却下」

「なんで?! 全部聞くって言ったのに!」

「常識で考えてよ」

「常識で考えたらお風呂も無しだよね」

「……や、やっぱり子供はまだ先でいいかな」

「責任を持てるようになってから考えようね」


 これでとりあえず先送りには出来た。さすがに大人になればいい人も見つかるだろうし、それまで何とか耐え凌ごう。

 なんだか以前より言葉の本気度が高くなっている気がするし、僕も気合を入れ直さないとマズいね。


「お兄ちゃん、お風呂はいいの?」

「変なことしないならね」

「うへへ、するわけないじゃん♪」

「……ものすごく心配だよ」


 僕たちは手を繋ぎながら、100メートル程の道を少し時間をかけて一緒に帰った。

 帰宅後に食べたシチューは、我が妹ながら料理の天才だと思ったよ。これが食べられる将来の旦那さんは、きっと奈々無しじゃ生きられなくなるね。

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 一方、咄嗟に隠れた電柱の裏から姿を現した紅葉くれはは、帰っていく瑛斗えいとたちの背中を見つめながらため息をついた。

 実は彼女、奈々が「お兄ちゃんが帰ってこないんです、携帯も家に忘れてて!」と大慌てで言いに来たため、探すのを手伝ってあげていたのだが……。


「まさか、尾行されていることに最後まで気付かないとはね」


 カナのバイト先にいる時から既に見つけており、こっそりと様子を観察していたのである。

 別にカナが怪しかったからでは無い。少し探偵ごっこをしてみたくなったのだ。


「結局、見つけたのは奈々ちゃんってことになったわけだけど。我ながら影が薄いわね……」


 そう呟いてひとり家に帰った彼女は、少しして届いた『お兄ちゃん、見つかりました!』というメッセージに対し、『良かったわね』と一言だけ返信しておいたらしい。

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