第346話

 あれから少し時間が経って就寝前の点呼の時間、僕とバケツくんは部屋を出たところの廊下に立って先生が来るのを待っていた。


綿雨わたあめ先生、遅いね」

「女子の方の点呼が先なんじゃないか?」

「あ、そうかも」


 先生の部屋は女子と同じ階にあるはずだし、全て回ってからとなるとなかなかに時間がかかる。

 同じ階にも他のクラスの担任がいるが、その先生は先程自分のクラスの男子部屋の点呼を終えてエレベーターで上に向かった。


「この方法、要領悪いよ」

「今エレベーター上がっていったし、まだもう少し待たされそうだな」

「いや、そうでもないかも」

「……ん?」


 バケツくんが僕の視線を辿って廊下の奥にある扉を見た瞬間、少し開きかけていたそれが一気に開かれる。

 そして向こう側から姿を表した人物を見て、思わず言葉を失った。だって、汗びっしょりになった綿雨先生だったから。


「……」

「……」

「……」


 しばらく無言の時間が流れた後、先生は「点呼の時間ですよ〜♪」と笑顔になって名簿代わりのタブレットをパタパタとさせた。

 こうもあっさり受け入れていいものかと思いつつも、とりあえずタブレットに学園デバイスをかざして点呼完了。

 そのまま「おやすみなさ〜い」と次の部屋へ向かおうとするのを見て、やっぱり引き止めてしまった。


「どうしてそんな汗だくなんですか?」

「それ、聞いちゃいますか〜?」

「聞いちゃいけないことならいいですけど」

「ダイエットのために階段を使ったんですよ。そしたら気付いたら一階まで行っちゃってまして……」

「急いで上がってきたら汗だくに?」

「そういうことです〜♪」


 まあ、知らなくても夜も眠れるし朝も起きれるような問題ではあったが、理由が知れて何となくスッキリした気がしなくもない。

 他のクラスメイトを待たせるのも悪いので、「帰りはエレベーターにした方がいいですよ」とだけ伝えて僕たちは部屋に戻った。


「今日一日は短かったね」

「何言ってるんだ? これからが長いんだろ」

「ん?」


 僕がベッドに腰掛けながら伸びをしていると、バケツくんはスーツケースの中からトランプを取り出して「やろうぜ!」と飛び込んでくる。


「やるって何を?」

「ババ抜きとかだな」

「それ、二人でやって楽しい?」

「じゃあ、7ならべはどうだ」

「長くなりそう」

「それならトランプタワーでも作るか?」

「そういうの得意じゃないかな」


 結局、トランプは二人でやっても面白くならないと言う結論に至り、バケツくんは仕方なく諦めてトランプを片付けた。

 かと思えば、今度は入れ替わりで人生ゲームを持ってきて、キラキラした瞳で見つめながら「やろうぜ!」と親指を立ててくる。


「わかったよ、1回だけね」


 そう言ってこちらが折れてあげた直後。窓の方からコンコンとノックするような音が聞こえてきた。

 一体何かと思ってカーテンを開けてみれば誰もいない。鳥でもぶつかったのかとベッドに戻ろうとすると、今度は強めに手のひらで叩くような音。


「一体どちら様――――――って紅葉くれは?」


 窓を開けて見てみれば、ベランダに紅葉が立っていた。景色を邪魔しないようにするために床の高さより1mほど下に作ってあるから、彼女が見えなくなっていたのだ。


「瑛斗、待て。ここは8階だぞ、女子部屋は12階だ。東條とうじょうがここにいるはずがない」

「ということは、これは僕の幻覚?」

「そうだ。その証拠に俺には何も―――――ぐふっ」


 言葉を遮るようにみぞおちへと叩き込まれたグーパンチによって、バケツくんはその場に倒れてしまう。

 紅葉は見えないと言われたことをかなり怒っているらしい。彼があからさまに視線を上に向けてキョロキョロしていたのだから、こうなっても仕方ないけれど。


「ふん、誰がチビよ」


 彼女がそう言いながら手をパンパンと叩いていると、金属の上を歩くような音と共に「それくらいにしてあげて」という声が聞こえてくる。

 その発生源を辿ってみれば、窓から乗り出してようやく見える位置に非常用はしごがあることに気がついた。

 そこから降りてきているのは愛実あみさんと麗華れいかだ。みんな既にパジャマに着替えている。


「なるほど、それを使って降りてきたんだ」

「バレたら怒られるでしょうね」

「でも、バレなければ怒られません」

「麗華ちゃん腹黒いね〜♪」


 どうして僕がこの部屋だと分かったのかは気になるけれど、今はそれよりももっと気になることがあった。

 愛実さんの手に握られているものが、ついさっき見た記憶のある人生ゲームだったことである。


「うん、やっぱり2人はお似合いだね」

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