第19話 立ち入り禁止は安全のため

 麗子れいこが向かったのは、あの日瑛斗えいとと会話した空き教室。

 しかし、いつも侵入経路として使っていた小窓は、壊れていたはずの鍵がいつの間にか修理されてしまったらしい。

 どう頑張っても入れそうにないことを確認すると、彼女はより一層肩を落としてしまった。


「……はぁ」


 麗子はため息を零すと、再び歩き出して今度は階段の方へと向かう。

 その背中はまるで何かから逃げているかのようで、追跡者の存在に気付くことなく屋上へ続く階段に足をかけるのを無視出来なかった。

 しかし、屋上の鍵は普段開いていないはずだ。アニメや創作の世界のように、日向ぼっこしながら昼食なんてことは不可能。

 何せ多感な高校生という時期にあの場所を解放してしまえば、思い詰めた生徒による早まった行為や、悪ふざけの延長で事故が起こらないとも言い切れないから。

 そのため、屋上へ続く扉も教室のドアよりかなり頑丈なものを使われている。故に普通は鍵がなければ入れるはずがないのだ。

 しかし、もし入れるなら悩みを聞くにはもってこいの場所だろう。

 そんな考えの元、大急ぎで学園長に鍵を借りてから戻ってきたのだが―――――――――。


「……嘘でしょ」



 彼は見てしまった。重い金属製の扉、その鍵の部分が強い衝撃を受けて破壊されている様を。

 屋上には立ち入れないからと安心していたが、ここまでの行動力があるとなると話は変わる。

 瑛斗えいとは慌てて外に飛び出すと、真っ先に捉えたのは柵を乗り越えた向こう側に立つ白銀しろかね 麗子れいこの姿だった。


「早まっちゃダメだ!」


 急いで駆け寄ると、彼女は体をビクッとさせてこちらを振り返った。

 急に声を掛ければ驚かせてしまう。そのせいで飛び跳ねでもしたら更に危険だ。

 瑛斗は慌てる気持ちを宥めると、出来る限り落ち着いた口調で話し始める。


「麗子、そんなことしたらダメだよ」

「あ、あの……」

「飛び降りたりしたら絶対にダメ」

「違うんです! これはそういうのではなくて……」

「……どういうこと?」


 柵を乗り越えて向こう側に立つなんて危険行為、覚悟を決めた人間しかしないだろう。

 そう思っていたが、麗子はその考えを否定した。話を聞いてみたところ、退屈な日々にスリルが欲しかっただけらしい。

 実に危ない思考だが、身投げをするつもりでは無いのなら良かったと胸をなで下ろした。


「じゃあ、こっちに戻ってきて」

「もちろんです」


 麗子は笑顔で頷くと、乗り越えようと柵に片手と片足を乗せる。が、ここで問題が起きた。

 まるでタイミングを図ったかのように強い風が吹き、彼女の体が後ろ向き……つまり屋上とは反対方向に押されてしまったのである。


「あ、イヤ、助け……」


 言葉にもなり切らない感情が口から溢れ出し、水の中に沈むかのように体は下へと向かい始めた。

 しかし、幸いなことに瑛斗の手は彼女が必死に空へと伸ばした手首を掴んだ。

 引き上げるのはそう簡単ではなかったが、見捨てる決意をするほど難しくはない。

 彼は自らも引きずり下ろされる覚悟で身を乗り出すと、柵に足を引っかけながら何とか彼女が自力で登っで来られる高さまで引っ張り上げた。


「はぁ……はぁ……」

「はぁ……はぁ……」


 他の音全てをかき消すほどに激しい吐息。人生でこれほど全力を出したのはいつぶりだろうか。

 火事場の馬鹿力という言葉を疑っていたが、もしかすると信じてもいいのかもしれない。


「麗子、大丈夫?」


 屋上に戻ってきた彼女は、足が着くなり座り込んでしまった。いや、正確には立てなかったからそうなったと言うべきだろうか。

 死を認識した体は震えが止まらず、ただただ一点を見つめたまま怯え続けていた。そして。


「っ……ごめんなさいごめんなさい……!」

「どうしたの、麗子」

「お母様、お父様、出来損ないでごめんなさい」

「しっかりして。ここには僕たちしかいないよ」

「使えなくてごめんなさい……麗子……」


 彼女はまるで他の誰かを呼ぶかのように自らの名を口にすると、蝋燭を吹き消したように意識を失って倒れてしまう。

 瑛斗はそんな麗子をしばらく様子見した後、優しく抱き上げて保健室へと運んであげるのであった。

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