第320話

 音鳴おとなりさんが麗華れいかの家に住み込みで働くようになった翌日、修理費用がしっかりと払われたらしい。

 これで彼女がしっかりと働きさえすれば、何の問題もなくことが解決するというわけだ。


「これで僕も一安心だよ」

「私の方は全くもって安心ではありませんけどね」

「麗華、どうしたの」


 朝の教室にて、何やらピリピリとしている麗華にそう聞いてみると、彼女はメモ帳を僕の机の上に叩きつけるようにして置く。

 一体何事かとそこに書かれた文字に目を通してみると、高そうな金額と『絵画』『花瓶』がセットで記されているではないか。


「初日からあの方の借金は5倍に増えましたよ!」

「え、これって全部音鳴さんが?」

「壊したものです!」


 話を聞いたところによると、音鳴さんは命じた通り一生懸命働いてくれてはいるらしい。

 しかし、余計なことまでするうえに運がないようで、何かをする度に損害を積み重ねたんだとか。


「300万の壺が一瞬でガラクタですよ?!」

「そんな高いものまで?」

「もう、お父さんに合わせる顔がありません!」

「ごめん、僕が連れていったばっかりに」

「……いえ、瑛斗えいとさんに怒っても仕方ありませんよね。少しカッとなり過ぎました」


 彼女は申し訳なさそうにそう呟くと、「頭を冷やしてきます」と教室から出ていった。

 そんなところへちょうど戻ってきた紅葉くれはは、ハンカチで手を拭きながらすれ違う麗華の背中を不思議そうに見つめる。


「何かあったの?」

「ちょっとね」


 音鳴さんのことを紅葉に話してみると、当人ではない彼女はThe他人事と言わんばかりにケタケタと笑った。

 ただ、さすがに金額を聞いてからは絶句したようで、少し真面目な表情に戻ってくれる。


「5倍ってことは750万?」

「今も増えてるかも」

「よく瑛斗の家にいる時は問題なかったわね」

「卵は何回か落とされたけど」

「壺よりかは何百倍もマシよ」

「紅葉、親鶏の顔見ながらでも同じこと言える?」

「こ、心を抉りに来るんじゃないわよ!」


 まあ、店に並んでいる卵が孵化することはほぼないらしいし、生産システム的に命を粗末にしたと言っていいのかは謎だよね。

 人間が生産効率の良い採卵鶏を生み出さなければ、生まれることがあったかも分からない卵なわけだし。

 自然に逆らった技術と命ってのは、お互いに相容れないのかもしれない。これは難しい問題だよ。


「まあ、僕の家で一番高いものって冷蔵庫だからさ」

「さすがに壊すことは無いでしょうね」

「慣れない環境に連れていったことが間違いだったのかな。最悪の場合、連れ帰った方が白銀しろかね家のためかも」

「でも、50万が払えない人に750万の借金なんて絶望的よ。夜逃げされたらどうするの」

「確かに……」


 追い詰められた人間の行動は読めない。音鳴さんが全てを捨てて姿を消さないという確証もないのである。

 どうすれば全てが丸く収まる、もしくは少しでも借金を減らすことが出来るのか。そう考え込んだ僕は、紅葉の諦観した呟きからひらめきを得た。


「もう、瑛斗も一緒に働くしかないわね」

「なるほど、それだよ」

「……へ?」

「僕が働いて音鳴さんの分も稼ぐしかない」

「いや、今のは冗談よ?」

「それでも他に方法がないからね」

「考えなさいよ。一日で5倍にした人のカバーを、瑛斗一人で出来るわけないじゃない!」

「なら紅葉も手伝って」

「…………は?」


 一人では無理でも二人ならまだ見込みはある。屋敷の人たちと同じくらいの仕事は出来なくても、少しずつタダ働きすれば何とかなるはずだよね。


「待って、私も働くってどういうこと?」

「紅葉もメイドになるってこと」

「嫌よ! 白銀 麗華のメイドなんて」

「大丈夫、踏まれたりはしないだろうから」

「その心配はしてないわよ!」

「とりあえず少しだけやってみない? 嫌だったらすぐに辞めていいからさ」

「誘い方が悪い先輩なのよね……」


 紅葉が何を言っているのかはよくわからなかったけれど、何とか頼み込んで一緒に来てもらえることになった。

 僕が「お礼に何でもする」って言ったらすぐにOKしてくれたよ。なんだかニヤついてたけれど、何を頼まれるんだろう……飴かな。

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