第482話

「……おかしなことしたついでに、ちょっと変な質問してもいいかな?」


 その言葉に頷いて見せると、奈々ななは空を見上げたまま視線を動かすことなく呟いた。


「兄妹ってどうして結婚出来ないんだろうね」

「それはもちろん―――――――」

「わかってる。遺伝がどうのこうのって話は、自分が妹だってことを思い知る度に調べたから」

「奈々……」

「私、前よりお兄ちゃんが好きで好きで仕方ないの。そうやって現実を突きつけることでしか、自分を抑えられなくなってる」


 苦笑いをしながら「紅葉くれは先輩たちを見て焦ってるのかな」なんて言う彼女の表情は引きつっていて、これ以上語らせたら壊れてしまうような気がした。

 それでも、奈々をこんな気持ちにさせたのは自分でしかないから。僕は手も口も出せないまま、ただ鼻をすする音を聞いてあげることしか出来ない。


「私が聞きたいのは、全人類に当てはまる科学とか倫理的なことじゃない。私とお兄ちゃん、2人だけの話なの」

「……うん」

「もしも子供に異常が発生する原因を全部取り除いたら、お兄ちゃんは私と子供を作ってくれる?」

「それは……」

「無理なんだよね。だって、お兄ちゃんが私を好きにならない理由はそこじゃない。妹だから、絶対に妹以外になれないからなの」


 自分がどれだけ好きと想い続けても、返ってくる言葉も愛情も妹に向けられたものでしかない。

 言わば、恋愛感情のマジックミラー。それを持つ彼女からは見えていても、反対側からはただの鏡としか思っていない。

 どれだけ視線を交えようとしても、その意識すら一方通行で、すぐ近くにいると知られることの無いまま手を振り続けるのだ。

 そして、一人になった途端に見つめ合っていると錯覚していた自分が哀れに思えて苦しくなる。

 それを繰り返しても繰り返しても、辞められる理由が見つからないまま、奈々の心は切り傷に刺し傷を重ねて手遅れになりかけていた。


「私が生まれ変わってお兄ちゃんと出会っても、遺伝子を全て書き換えたとしても、私が妹だって意識がある限りお兄ちゃんは振り向いてくれない」

「そんなことはないと思うけど……」

「じゃあ、いつか好きになってくれるの?」

「……」

「無責任なこと言わないで。期待し続ける私の辛さは、いくらお兄ちゃんでも分からない」

「でも、一番大切なのが奈々だってのは本当だよ。出来ることならずっとそばにいたい」

「先輩たちの誰かと結ばれることになったら、私は邪魔者でしかないのに?」

「邪魔だなんて思ったことない」

「先輩たちは思ってる。妹のくせに割り込むなって、厄介な存在だって思われてるよ!」


 握りしめた拳で湯面を叩くと、ぴしゃりと跳ねた水が顔にかかった。

 僕はそれを拭うことも忘れて、寒さではない理由で震えている奈々を見つめ続ける。それ以外に何をすればいいのかわからなかったから。


「……お兄ちゃん、紅葉先輩たちの勝負のことはもう知ってるよね」

「聞いたよ。S級同士で落とそうとしてるって」

「実はね、私も勝負してるの」

「誰と?」

「叔父さん。お兄ちゃんが卒業までに落とされるか、落とされないかって賭け」


 彼女によると、勝負の約束をしたのは僕が転入してくる少し前だったらしい。

 勝てば兄妹で二人暮しが出来る環境を提供してもらえるが、負ければ跡取りのいない叔父さんのために春愁しゅんしゅう学園高校の次期学園長となる。

 一見なんてことない条件には見えるものの、裏を返せば敗北イコール卒業後は僕と一緒にいられないということだ。

 だから、彼女は必死になって妨害をしていた。たとえ兄妹のままだとしても近くにいられるならそれでいい。そう思っていたから。


「でもね、最近気づいちゃった」

「何に?」

「私の勝負はお兄ちゃんが高校を卒業するまで。だけど、きっと先輩たちとお兄ちゃんの関係はこの先もずっと続くの」

「そうだろうね、そうであって欲しいよ」

「……兄妹のままじゃ、いつか絶対に負ける」


 奈々はそう呟くと、ようやくこちらへ顔を向けてくれる。その表情には何か覚悟を決めた後の凛々しさが垣間見えていた。


「私、絶対に叔父さんとの勝負に勝つから。そのためなら兄妹の壁を壊すつもり」

「でも……」

「妹だからなんて言い訳はさせないよ? 大丈夫、子供を作ろうなんて思ってないから」

「どういうこと?」

「私はお兄ちゃんに女として見て欲しい。だけど、生まれてくる命に迷惑をかける訳には行かないから」

「……そっか」

「だから、それ以外の方法で落とす。拒んでもいいよ、こっちはもう止まれないから」


 彼女は涙を拭いながら立ち上がると、最後にもう一度キスをして洗い場へ続くドアへ向かう。

 それから振り返ってにっこりと笑ったかと思えば、「私と同じだけの覚悟、してから上がってきて」と伝えて扉の先へと消えてしまった。


「……考える時間はくれなそうだね」

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