第344話

 夕食後、寝る前の点呼まで自由に行動していいと言われたので、バケツくんがトイレに行っている間に何となくイヴに電話をかけてみた。

 海で見た時は元気そうだったけれど、自由行動の時の計画の確認ついでに声を聞いておこうと思ったのだ。


「あ、もしもし。イヴ、瑛斗えいとだけど」

『……』


 相変わらず無言のままだけれど、スピーカーに髪が擦れる音が聞こえる辺り何かジェスチャーをしているのかもしれない。

 状況を制限して声を発させるというのは難しかったらしいので、仕方なく「ビデオ通話にしよっか」と切り替えた。


『……』ペコ

「うん、こんばんは。海は大丈夫だった?」

『……』コクコク

「それなら良かった。足をつけるのをすごく嫌がってたみたいだから心配だったんだ」

『……』


 彼女は画面の中で照れたように後ろ頭をかくと、ふと後ろを通った人物に手招きをして呼び寄せる。

 イヴも自室にいるようだから、きっと同室のメンバーなのだろう。着替え中に電話をかけちゃったりしてなくてよかった。


『え、この人誰?』

『……』カクカクシカジカ

『なるほど。……って分かるかい!』

『……』シュン

『いや、えっと、わかった! 友達だよね!』

『……』コクコク


 イヴが頷いてくれたことでホッと胸を撫で下ろす女子。やはり、無言ジェスチャーを読み解くのは他の人にはそこそこ難しいことらしいね。

 僕からすると分かりやすく伝えてくれてると思うんだけど。まあ、何はともあれルームメイトと仲良く出来てるようで安心した。


「ところで、君は?」

『あ、イヴちゃんと同じ部屋の近藤こんどう すみれって言います! 近藤って呼んでね♪』

「その言い方で苗字勧める人初めて見たかも」

『私だって、修学旅行で堂々と女の子とビデオ通話する男の子は初めて見たよ』

「まあ、用事があったからね」

『いやぁ、青春してるの羨ましいねぇ』


 近藤さんが『羨ましい羨ましい……恨めしい』と言いながら画角外に消えると、何やらボフッとベッドに飛び込むような音が聞こえた。

 その直後、『人が寝てるのに飛び込むなー!』と別のルームメイトに怒られて逃げていったけど。


「女子部屋の方が騒がしそうだね」

『……』コク

「ノエルは?」

『……』


 イヴは何か楕円で深めの何かに入って、のんびりとくつろぐようなジェスチャーをして見せてくれる。

 なるほど、ノエルは部屋風呂に入浴中ということらしい。今日は大浴場が使えないみたいだから、部屋のを使わないといけないんだっけ。


「じゃあ、イヴもそろそろお風呂?」

『……』フリフリ

「あ、もう入ったの?」

『……』コクコク


 彼女はそれを証明するかのように、カメラを遠ざけて自分が来ているパジャマを見せてくれる。

 よく見てみれば灰色のネコ耳付きのフードがあるではないか。似合ってると伝えたら、少し嬉しそうに頷いてくれた。


『ふぅ、お風呂上がったよ……って…………』


 イヴが元の距離にスマホを戻すのと同時に、ガチャッとドアを開けて出てきたノエルがこちらを見つめたまま固まる。

 彼女は綺麗な金髪にタオルをかぶせて、熱くなった体を冷ますようにパジャマの前を開けっ放しで歩いていたのだ。


『瑛斗くん?! こ、これは違うの! 普段はこんなにだらしない格好してないんだけど……』

「分かってるよ。分かってるから早く前閉めよっか」

『あ、うん……』


 暑苦しいからなのか下着もつけていないみたいだったし、その状態でカメラに寄られたら一大事だ。

 僕は画面から目を背けると、ちゃんと着直してもらってから視線を元に戻す。


「ノエル、他のふたりには途中でタクシーを降りること伝えてくれた?」

『ちゃんと言ったよ。了承ももらってる』

「さすがだね」

『えへへ♪』

『……』ヨシヨシ


 イヴにえらいえらいと撫でられて、更に表情が蕩けるノエル。この確認さえ出来れば他に聞いておくことは特にないので、「おやすみ」と伝えて電話を切った。


「ついでに紅葉くれはたちの方にも掛けとこうかな」


 用事があるわけではないけれど、おやすみくらいは伝えてもバチは当たらないだろう。

 僕はそう心の中で頷くと、電話をかけようとして……いつの間にか背後に立っていた存在に気が付いた。


「俺の居ぬ間に女の子に電話とは、羨ま……けしからんぞ瑛斗!」

「バケツくん、すっきりした?」

「ああ、出し切って……ってその話はいい! 次は誰にかけようとしてるんだ?」

「紅葉たちだよ」

「なら俺も一緒に映らせてくれ。向こうには愛実あみもいるしな」

「それは別にいいけど、男同士くっついてビデオ通話するつもり?」

「何か問題あるか?」


 首を傾げる彼に瑛斗は「気にしないなら僕も気にしないけど」と呟いて、紅葉のスマホに電話をかけたのだった。

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