第151話

「いい湯だったね」

「……」コク


 脱衣場で髪を拭きながらそう聞くと、イヴはほんのりと頬を赤くしながら頷いた。のぼせたのだろう、元々肌が白いこともあって赤色が目立つね。


「妹の私にも髪を拭いてもらう権利が……」

奈々ななは自分で拭けるでしょ」

「むぅ……」


 不満そうに頬を膨らます彼女に、「帰ってからしてあげるよ」と伝えると、「今すぐがいい!」とさらに抗議を重ねられてしまう。


「わがままな子は嫌いになっちゃうよ?」

「お兄ちゃんはそんな酷いことしないって信じてるもん!」

「それはどうかな」


 僕はわざと意味ありげにそう呟くと、座りながらウトウトしているイヴを後ろから抱きしめて見せた。まあ、起こしちゃ悪いし本当はギリギリ触れてないんだけど。


「なっ?!」

「僕、素直な方が好きだよ」

「私よりイヴちゃんを選ぶっていうの?」

「奈々の答えによってはそうなるかもね」

「ぐぬぬ……」


 拳を握りしめてしばらく葛藤した彼女は、小さくため息をついて諦めたように脱衣場から出ていく。「ちゃんと髪は乾かしなよ」という声に返事はなかった。不貞腐れちゃったのかな?


東條とうじょうさん、乾かし終わりましたよ」

「……本当に? 嘘ついてるんじゃないでしょうね?」


 そんな僕の真後ろでは、紅葉くれは麗華れいかにドライヤーで髪を乾かしてもらっていた。紅葉も素直にお礼を言えばいいのに。


「この笑顔が嘘をついているように見えますか?」

「言われてみれば……余計に怪しいわね」

「学校では優しい笑顔だと評判なのですが……」

「それは麗子れいこだった時のあなたでしょ。今は取り巻きを捨てた酷い女よ」

「東條さん? 触れていいことと悪いことがあるんですよ?」

「あ、ちょ、瑛斗えいと!助けなさ……」


 必死に抵抗しようとした紅葉は、影かかった微笑みを浮かべる麗華に足を掴まれて脱衣場から連れ去られてしまった。

 まあ、麗華にとってあまり刺激されたくない話題だからね。今回は紅葉もお喋りが過ぎたんだよ。

 僕は心の中で南無阿弥陀仏を唱えつつ、乾かし終えた綺麗な銀髪をポンポンと撫でてあげる。


「……?」

「イヴ、終わったよ」

「……♪」

「連れてって欲しいの?」

「……」コクコク


 もう眠くて歩けないらしい。両腕をこちらへ伸ばしてくる彼女に「仕方ないなぁ」と呟くと、脇の下に腕を通して抱え上げた。

 そのまま脱衣場を出て寝室に向かい、そっとベッドの上に寝かせてあげる。


「今日は疲れたもんね」

「……」コク

「ご飯の時には起こしに来てあげるから。おやすみ」

「……」コク


 早くも寝息を立て始めたイヴに、しっかりお腹まで布団をかけてあげてから、僕は置きっぱなしの水着を取りに脱衣場へと戻った。

 カゴに入れたままだった水着を見つけ、水分を絞ろうと浴場へ入ると、「あ、あのぉ……」と控えめにこちらを見たノエルと目が合う。


「居ないと思ったらまだここに居たんだ」


 彼女はシャワーの前に座ったままだから、最後に見た時から動いていないらしい。あれ、そう言えば最後に見た時って確か―――――――――。


「もしかして、ずっと待ってたの?」

「……うん」


 あの時、ノエルに髪を洗ってあげると約束したんだっけ。イヴに時間がかかってすっかり忘れてたよ。


「言ってくれれば良かったのに」

「自分から言うのもしつこいかと思っちゃって……」

「ノエルって意外と気を遣うタイプなんだね」

「ど、どういう意味?」

「アイドルって、我が強いイメージがあるからさ」

「もう、ドラマの見すぎだよ」


 ノエルは「でも、イヴばっかり甘やかしてるとそうなっちゃうかもね?」とニヤッと笑って見せた。僕は「気をつけなきゃね」と呟きながら、彼女の傍に歩み寄る。


「じゃあ、今度こそ洗って―――――――」


 あげる。そう言い終える前に、浴場内にインターホンの音が響いた。こんな時間にお客さんだろうか。


「ごめん、ちょっと見てくる」


 我が家ならまだしも、人が来るはずないここでインターホンが鳴るのは異様だ。紅葉達だけでは心配かもしれないと、僕は早足で玄関へと向かった。


「ようやく救助作業が終わりまして……」


 見てみれば、紅葉が扉を開けて対応している。相手は警察官らしい。「そう言えば通報したのよね……」と気まずそうに呟いた紅葉は、どうやら困っているようだ。代わりに僕が答えてあげよう。


「あの、通報した件は解決しました」

「そうですか、お怪我などはありませんでしたか?」

「はい。それより、救助の方は無事に済みましたか?」

「ええ。診察でもかすり傷程度だったので、これから家に送り届けるところなんです」


 警察官はそう言うと、後方に停めてあるパトカーを振り返りながら苦笑いをした。

 確か、電話では『モーターボートが爆発した』って言ってたよね。ということは、あのパトカーの中に紫波崎しばさきさんがいるのだろう。


「知り合いかもしれないので、会わせてもらえますか?」

「ええ、構いませんよ」


 僕は警察官に連れられてパトカーに近付くと、コンコンと中の見えない窓をノックしてからドアを開く。そこに居たのは黒いスーツ―――――――。


「あ、やっぱりここにいたんだね〜瑛斗先輩♪」


 ――――――――ではなく、キラキラとした瞳でこちらを見上げる少女……いや、少年だった。

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