648. その説明で手を打ちましょう

 城の掃除をするベールと、それに付き合って帰ってこないルキフェル。ベルゼビュートは魔の森の定期巡回に向かった。そのため、しばらく3人とも帰ってこない。


 執務室の応接セットに腰掛けるルシファーとリリス、向かいでアスタロトが書類のチェックを始めた。ついて来いと言われたものの、叱られるでもなく……ルシファーは困惑する。大物っぷりを披露するリリスは、肩に寄り掛かって眠りかけていた。


 肩に触れるルシファーの手に、弱いながら魔力を感じる。何かを促す流れが、魔法陣で整流されてリリスへ流れ込んでいた。そしてお姫様は小さな欠伸をひとつ。


 黒髪を撫でてから身体の位置を動かし、彼女に膝枕をしてやる。長椅子の上に器用に横になったリリスは、猫のように背を丸めて綺麗に収まった。緩やかなカーブを描く上質な長椅子に、ドレスのフリルやリボンと一緒に黒髪が散らばる。


「……1005枚。確かに揃っています」


 渡した書類はすべて決裁済みだ。机の上に積んでいた別の書類も半分近く終わっている。部屋に大きな乱れや破損もなかった。上階の魔王と魔王妃の私室を修理するドワーフの木槌や、怒鳴り合う工事関係者の声が多少煩いが、特に問題はない。


 では何を仕出かし、隠そうとしたのか。


「魔王様、謝るなら早い方が……」


「分かってる。というか、もう謝ったけど」


 城門から中庭を経由して歩いて戻るアスタロトに、ルシファーは何度か謝罪の言葉を告げた。それに対する返事がないまま、執務室に入っただけの話だ。受け入れられない謝罪は宙に浮いていた。


「謝罪の言葉はお聞きしました。では、理由をお話しください」


「言いたくない」


「それが通るとお思いですか?」


「思わない、けど」


 リリスの髪を撫でる手を止めずに、ルシファーは子供のように口を噤んでしまう。言いたくないと反論するだけ、まだマシだろう。昔はそれすら言わずに拗ねて、しばらく口を利かなかったのだから。子の成長を見守る親の心境で、アスタロトはお茶の用意を始める。


 書類に使った朱肉やインクの匂いが部屋に残るが、紅茶の香りはない。ならば午前中に設けられたお茶の時間を飛ばして頑張った証拠だ。頑張った分をお茶で労うのは、甘やかしではないだろう。ベールあたりが見たら苦笑いする理由をつけ、アスタロトはゆっくりと紅茶を淹れた。


 注がれた紅茶の香りが部屋を満たし、白磁のカップを並べる。ルシファー、リリス、アベル、4人の少女達……自分の分を含めて8つで足りた。内側から見ると透かし模様の桜が散るティーカップに、ルシファーが唇を噛んだ。


 よく叱られた後に出されたティーセットだ。普段は花柄や鳥など様々な模様が描かれたカップを使うのに、言葉が少ない状況で出されることが多かった。言いたいことを飲み込んでいるアスタロトの心境を示すような選択に、ルシファーは溜め息を吐いて身体の力を抜く。


「わかった。言うが……全部んだからな」


 城門封鎖による騒動も含め、全部の責任を取ると明言したルシファー。少女達やアベルは顔を見合わせた後、紅茶を手にした。全員で口をつける様子からして、何も言わずに見守る決断をしたらしい。


 事情を知るが言葉を飲み込んだ彼らの態度は、側近として好ましい部類に入る。主の意志や決断を無視して、勝手にしゃしゃり出て台無しにする配下ならば不要だった。それが主の為にならないと勝手に判断する機会もあるが、この程度の問題で我先にと暴露する者は使えない。


 空気を読むアベルも黙ってお茶菓子で口を塞いだ。文官としての仕事を手伝い始めた彼がここにいるのは、書類の確認と受け渡し要員として派遣されたためだ。城に住んでいる間に金を溜めて、城下町に与えられた家を買い取る予定だと聞いた。


「書類は朝にすべて終わったが、数えている時にミスをして。半分以上の署名や押印が消えたから、やり直す時間を稼ぐためにお前達の帰還を邪魔した。以上だ」


 それ以上の他意はない。言い切ったルシファーの銀の瞳をまっすぐに見つめ、アスタロトは複雑な思いで眉をひそめる。今の説明で事情は理解できた。


 魔力を流したのではなく『流れた』のなら、ルシファー以外の者が署名を消したのだろう。少女達やアベルが犯人なら、自ら名乗り出る。ここまでしてルシファーが庇う人物は1人しかいない。魔王城の封鎖という危険を冒してまで守ろうとした――。


「わかりました。その説明で手を打ちましょう」


 真実を言わないが、嘘も言わなかった。ルシファーが出来る範囲で示した誠意に、これ以上アラ探しを続ける気はない。しかし釘をさすことは忘れなかった。


「リリス姫に使った眠りの魔法陣、もう消して構いませんよ」


「っ……」


 バレたと焦るルシファーに、「なぜバレないと思ったのでしょう」と呆れ顔で空のカップに紅茶を注ぐ。窓の外は好天、穏やかな風は春の暖かさを孕んで……もうすぐ季節が変わろうとしていた。

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