720. 舐めると痛い目を見ます

「リリス様を見つけたよ」


「あ! 本当だわ」


 青年の声に続いて、聞き慣れた友人の声が響く。リリスが足元を見ると、城門の下にルーシアと婚約者のジンが手を振っていた。アラエルが通してくれるらしく、裏側に回り込んで階段を駆け上ってくる。姿を見せた側近とその婚約者に、リリスは笑顔で毛皮の席を勧めた。


「どうぞ。いいわよね、ヤン」


 事後承諾だが、リリスは気にしない。自室の絨毯に近い扱いはいつものことなので、ヤンもぐるると喉を鳴らしてから返事をした。元森の獣王としての面目は、この城に来た時に捨てたヤンである。誇りはあるが、無駄に振りかざすこともしなかった。


「構いませぬ、姫」


 お邪魔しますと断ったルーシアとジンは靴を脱いでから、ヤンの毛皮にもふっと潜り込んだ。思い出したように、ルーシアが収納から何かを取り出す。


「フェンリル様に、これを」


 大きな肉の塊である。片手で持てず、精霊のジンも手伝い、最終的にレライエが手を貸して渡した。あけた口の中に手ごと突っ込んで食べさせたリリスが、くすくす笑いながら血塗れの手でヤンの鼻先を撫でた。翡翠竜アムドゥスキアスが、魔法陣を作って浄化を全員に施す。


「ありがとう、アドキス」


 レライエの礼に尻尾を振るアムドゥスキアスが、慌てて皆に注意を促した。


「ベール大公閣下が戦いますよ!」


「「あら」」


「見過ごすところだったわ」


 慌てて座り直した少女達とその婚約者は、ベールとルシファーの戦いに注目する。やはり優雅な礼をして進み出たベールは、手に大きな槍を握っていた。他の大公と違い、戦う姿を滅多に見せない彼は礼服から軍服に着替えている。


 魔王軍の指揮官でありながら、自ら武器を手に戦う機会は少ない。援護や指揮、回復で活躍することが多かった。それだけ部下が優秀な証拠だが、10年に1度の勝ち抜き戦では武器を手に戦う姿を見れるとあって、観客は大盛り上がりだ。


「ベール様が戦うのは、20年ぶりか」


「前回は出られなかったからな」


 ルシファーがやらかした騒動の尻拭いをして、前回はルキフェルとベルゼビュートしか戦わなかったのだ。そのため20年ぶりの雄姿を見ようと、人々は詰め掛けていた。


 この一戦が人気となる理由は、圧倒的な手数の多さだ。アスタロトも同様だが、使用する武器の種類や戦術の手数がとにかく多い。


 20年前のベールは三節棍さんせつこんを使用した。成人の腕の長さに近い棒を3本連ねた武器だが、接続部が鎖になっている。棒で打ち合い、ルシファーの力を逃がし、鎖部分で刃先を止めた時は大歓声が上がった。剣で対応したルシファーが呆れるほど、その扱いは巧みだった。


 今回の槍も期待が高まった。長く生きた分だけ武術を極めてきた大公の腕前は、実際に敵を前にした場合はほとんど披露されない。それほどの強敵がいないのだ。こうした公式の観戦の機会がなければ、民の目に触れることもないだろう。


「参ります」


「デスサイズ、戻れ」


 地に突き立てた剣に声をかけ、左手を前に翳す。集まった蛍が散るように光となって消えた剣は、呼び出した当初の鎌となってルシファーの手に握られた。光が集約して固まった柄を握り、右手を添えて持ち直す。


 突き出された槍が鋭い音で風を切る。僅かに右足を引き、身体を斜めにして避けたルシファーが口元を緩めた。細い三日月の刃をくるりと回転させる形でベールの喉元へ向ける。しかし手前で穂先と逆の石突で弾かれた。


「長い得物同士は久しぶりだ」


 ルシファーが得意とする長得物を持ち出したベールへ、機嫌よく声をかける。その余裕に、ベールは肩を竦めて槍の持つ位置を変えた。長く石突に近い位置を握っていた手を、中央付近で持ち替える。戦い方を変化させることが可能な槍は、意外と厄介な相手だった。


「舐めると痛い目を見ます」


 忠告とも挑発ともとれるベールの言葉は、歓声に紛れて民まで届かなかった。しっかり聞き取ったルシファーは笑みを深めながら「そうかもな」と呟く。ひとつ呼吸を置いて、ベールが一気に攻勢に出た。

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