617. 側近の懇願に負けた
目が覚めると、目元を赤くしたベルゼビュートが笑顔を作った。すぐにわかる不自然な表情だが、ルシファーは指摘しない。それぞれに理由があり、無理やり説明させても碌な結末にならないだろう。
目を伏せて視線を外したルシファーの仕草に、失敗したとベルゼビュートが臍を噛む。どうしても泣いてしまいそうで笑みを貼り付けたが、付き合いが長いため見抜かれた。失礼を承知でこのまま通すしかない。もし笑顔の仮面を外してしまったら、記憶のない魔王を責めてしまう。
「アスタロトはどうした? 状況説明を……」
「あとでいいと思いますわ。まだお疲れでしょう? それにあたくしがアスタロトを探しに行くと、陛下の護衛がいなくなりますもの」
奇妙な言い回しにルシファーが眉をひそめる。護衛が必要だと判断された理由は何だ? 魔族最強の魔力量を誇る純白の魔王に、大公クラスの彼女が護衛につくのは異常事態だった。先ほどの襲撃絡みで犯人が捕まっていないとしても、
自分の知らない陰で事態が動くことへの恐怖が、じわりと足元から這い上がってきた。彼らはオレに知らせず、何かを行おうとしている。それを裏切りと即断するほど短い付き合いではないが、裏切るならそれでも構わなかった。弱肉強食を旨とする魔族にとって、下克上は罵られる行為ではない。
「いや、ならばオレが探しに行く」
このまま部屋に閉じこもっていてはいけない。本能的にそう感じて立ち上がる。ふらつきはなく、魔力の巡りも問題なかった。ドアへ向かうと、慌てたベルゼビュートが両手を広げて阻む。
「どうした?」
「いえ、あの……その」
突発事態に弱いのは昔から変わらない。ボロが出る側近に、出来るだけ穏やかに声を掛けた。
「お前たちが何をしても構わないが、オレの行動を妨げるのは……」
「分かっています! それでも会わせられない人がいるのよ。お願いですから、この部屋にいてください。せめてアスタロトが帰ってくるまで」
祈るように両手を合わせて懇願するベルゼビュートの姿に、諦めて椅子に腰掛けた。しかし特にすることがあるわけじゃなく、ドアの前から動かないベルゼビュートを手招きする。
「部屋から出ないと約束するから、ここに座れ」
おずおずと近づいて、正面の椅子に落ち着いた。
客間の作りは豪華だが、さほど凝ったものではない。メインのベッドが中央より壁寄りにセットされ、庭を望む窓際にテーブルと椅子が置かれる。基本的な形状はどの客間でも同じで、廊下側の壁に花瓶を置く小さな棚を置くのが通例だった。見つめる先で、花瓶に花は生けられていない。つまり客が来るわけではなく、ここに人が入る予定もなかったという意味だ。
襲撃により傷を負ったと思われる先程の状況を思い出し、ケガを心配した側近達に閉じ込められたのかと納得した。アスタロトが今頃、犯人を引き裂いているかも知れないな。粛清のためにオレの側を離れるなら、犯人は魔族の誰か。
「ベルゼ、アスタロトはいつ戻る?」
場合によっては、過激すぎる粛清をやめさせる必要がある。そう思っての問いに、ベルゼビュートは首を横に振った。
「少なくとも今夜はこの部屋でお休みくださいね。先程ご覧になりましたでしょう? 陛下の私室が吹き飛びましたの」
考えてあった答えをすらすらと口にして、彼女は部屋に備え付けのお茶セットを引き寄せた。ルシファーから目を離さず、魔力で取り寄せたカップやポットに魔法でお湯を注ぎ温める。空中からハーブを取り出し、ポットにハーブティを作り始めた。剣を振り回す姿が印象的すぎて忘れがちだが、彼女の淑女としての立ち振る舞いは女王の称号にふさわしい見事なものだ。
カップに分けて注いだお茶を差し出され、香りを楽しんでから口に含んだ。
「うん、うま……ぃ」
最後まで言い切る前に、庭へ続くガラス戸が開き、慌ただしく数人が飛び込んできた。
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