624. それぞれの自分勝手
「自分勝手すぎるわ」
続いたのは別の声。最初がルーサルカで、次がシトリーだった。どちらも唇を尖らせ不満を表明するのは、今回の騒動でリリスがルシファーに傷つけられたと認識したためだ。リリスを守ってケガを負ったとしても、記憶を失って彼女を絶望に陥れた。
身体を守って、心を傷つけたと受け止めることもできる。だがこれはルシファー自身が望んだ結果ではなく、少女達も理解していたから口を挟まなかった。しかし今回は違う。短時間で元に戻ったのはいいが、そのしわ寄せをすべてリリスが受けるのは間違っている。彼女達の言い分を纏めるなら、ルシファーの半日分の記憶のためにリリスが悩むのなら切り捨てたいのだろう。
主君への忠義という意味で、アスタロトやベルゼビュートも理解できる感情だった。シトリーの「自分勝手すぎる」という言い分も、その通りなのだ。魔族自体が自分勝手な種族なのだから。
彼女らは愛らしい幼女時代のリリスと仲良くなり、一緒に歩んできた。共に勉強し、マナーを覚え、ダンスを学んできた。長い時間を一緒に過ごしたことで、リリス個人への思い入れが強い。リリス姫の側近として、その在り様は正しい反面……ひどく危険だった。
リリスに傾倒するあまり、周囲の事情を見ていない。時折暴走する彼女らを宥めてきたアスタロトが苦言を呈そうとした時、リリスが赤い瞳を開いた。周囲を見回してから、ほぅ……と長い息を吐き出す。ゆっくり身を起こそうとしたリリスへ、イポスが静かに手を貸した。
出遅れたルーシアがコップに水を入れて差し出す。
「ありがとう」
礼を言って一口飲んだリリスの背に、クッションを差し込んだベルゼビュートが心配そうに声をかけた。
「大丈夫かしら、具合が悪ければ寝ていてもいいのよ?」
「ありがとう、ベルゼ姉さん。辛かったら横になるわ」
穏やかに返すリリスは大きな目を悲しそうに伏せた。今の会話をすべて聞かれ、彼女がそれを嘆いているように思われる。しかしアスタロトは淡々とした口調で尋ねた。
「リリス様、今の会話を聞いておられましたか?」
「いいえ」
首を横に振る。リリスが覚えているのは、ルシファーの隣に座り記憶の話を始めたあたりまで。ルシファーの記憶が800年弱足りない……その発言に激しいショックを受けた。自分にとって人生すべてである14年間は、ルシファーの膨大な思い出のほんの一つまみ程度だという現実。
頭を殴られたような衝撃と悔しくて泣きそうな感情、複雑な想い……すべてが絡み合って、誤魔化すように紅茶のカップに手を伸ばした。心配する声すら煩わしい。誰も何も私に干渉しないで……そんな我が侭が口をつきそうになったところで、意識が途切れた。
きっと高ぶり過ぎた感情が焼き切れたのだろう。覚えているのはふわふわとした柔らかく温かい、泣きたくなるほど懐かしい感覚だけ。
「少し前に倒れたあなたを運んだのは、ルシファー様です。覚えていないのに側を離れたくないとおっしゃり、この場で執務をされていました」
言葉通り、アスタロトが視線を向けた机の上に積み上げられた書類と、ペンやインクが並んでいる。印章は見当たらないが、この場で仕事をしていたのは間違いなかった。
「そう」
理解したと示しながら、嬉しくて口元が緩む。記憶がないなら知らない小娘に過ぎない私を、気遣ってくれたのだ。優しい人だから他意はなかったかも知れないけれど、婚約者の肩書があるから大切にしてもらえるだろうと確信が持てた。
だから平気――やり直せるわ。
「その後に、この部屋に乱入したピヨとアムドゥスキアスに蹴飛ばされた効果……でしょうか。記憶が戻りました。今度は記憶を失った期間が消えてしまいましたが」
「……え?」
これから新しい記憶を積み重ねればいいと悲壮な覚悟をした直後、今度は記憶が戻った話をされれば、誰でも理解が追いつかない。ぽかんとした顔でアスタロトを見つめ、部屋の全員を順番に眺めた。
本当だと頷くベルゼビュート。何故か青ざめて反省しているピヨと翡翠竜。むっとした顔のルーサルカ、シトリーがいて、ルーシアやレライエは困惑顔だが嘘は感じ取れない。アベルの後ろで腕を組んだイザヤとアンナが「愛よね」と囁き合っていた。
「ルシファーは? どこ……」
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