491. 誰も名乗ってませんでした

 魔王城のガラス扉の外へ出ると、外はよい天気だった。晴天の青空を眩しそうに見上げ、腕に抱いたリリスを下ろす。用意したサンダルを履かせると、幼女は手を伸ばした。しっかり指を絡めて繋ぐと安心したのか、よちよちと歩き始める。


 かかと部分が高くなった靴がお気に入りのリリスは鼻歌交じりに、芝の中に置かれた敷石に飛び乗って先に進む。敷石の間をぴょんと飛ぶ姿は可愛いが、ぐらぐら揺れる足元が不安を煽った。ルシファーは魔力による支えも利用して、転ばせずにガゼボの近くまで歩く。


 そこでようやく足を止めた。ガゼボの中は、ベンチが向かい合わせに2本置かれている。お茶会では片づけられてしまうが、普段はベンチが並ぶ場所だ。収納空間からリリス用のクッションを取り出して並べ、自分の分も引っ張り出した。


「アベル、受け取れ」


 簡単そうに言われたアベルだが、渡されたクッションは抱える大きさの物が6つだった。多すぎて落としかけ、慌てて後ろのベンチに並べていく。下に敷く分と寄り掛かる分を用意したルシファーは、アベルの手が空くたびにクッションを手渡した。


「よし」


 満足げにリリスを座らせる。ピンク色のフリル満載クッションが複数並び、幼女を包み込んでいた。愛用のクッションを叩いてご満悦のお姫様は、イザヤがアンナを下ろすのをじっと見つめる。


 アベルが並べたクッションへアンナが寄り掛かり、不安そうな顔で裾を掴む妹の横にイザヤが座った。必然的に、空いたイザヤの隣がアベルの場所となる。


「パパ、お姉ちゃんはまだ歩けないの?」


「身体が疲れてるんだよ。……それより、どうして名前を呼ばない?」


 リリスは基本的に、相手の名前を憶えて固有名詞を呼ぶ。お姉ちゃんやお兄ちゃんという括りで呼びかける事例は珍しかった。何か理由があるのかと尋ねるルシファーが隣に座れば、純白の髪をぎゅっと掴んで首をかしげる。


「だって、リリスはお姉ちゃん達とお名前の交換してないもん」


「名前の交換……?」


 つまりお互いにきちんと名乗っていないから、個人名で呼ばなかったという意味だ。言われて考えてみれば、他の者は名前をこう呼べと言われたり、面と向かって名乗られたりしている。しかし彼女らの名前は伝え聞くだけで、リリスに対して名乗っていないのだろう。


「失礼しました。リリス姫様、僕はアベルと言います。元勇者です」


 クッションを並べ終えたアベルが、一礼する。イザヤも立ち上がりしっかりお辞儀した。


「イザヤです。アンナの兄で、アベルの友人です」


「アンナと呼んでください。兄達と一緒にお世話になります」


 最後にアンナがふらりと身を起こし、申し訳なさそうに座ったまま挨拶をした。3人の挨拶を受けて、リリスがにっこり笑って手を振る。


「リリスよ。パパのお嫁さんなの」


 娘ではなく嫁と名乗った幼女に、なんとなく察していた3人はぎこちなく微笑んだ。幼女趣味ロリコンという単語が頭の中を過るが、表面に出すほど無礼ではない。心の中で思うのは自由だった。


「挨拶、ご苦労。ルシファー、魔王だ」


 礼儀だろうとルシファーも名乗る。


「この世界では、魔王様のお名前は秘密じゃないのですね」


 アベルの呟きに、ルシファーは素直に尋ね返した。


「秘密にする世界もあるのか?」


「ラノベ……えっと、本で読んだ世界に『名前を知られると操られたり不利になる』場合があったんです」


「確かに『名はたいを表す』という言葉があり、物や人の名前はその中身を表すと言います」


 イザヤが自分が知っていることわざで補足した。名を知られると支配される考え方は、過去の陰陽師や妖のルールとして知られている。それを利用した娯楽小説がはびこる世界から来た彼らには、馴染ある考え方だった。


「なるほど。この世界では名を魔法陣に織り込むため、いつわることは難しい。しかし考え方はかなっており、おもしろい」


 雑談が一段落したところで、ルシファーは本題を切り出した。


「ところで、この世界で生きていくために必要なことがあれば、先に教えておいてくれ」

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