360. 宴会こっそり会議

 急ピッチで準備される宴会場の中央で、赤子を抱いたルシファーの姿は悪目立ちしていた。城下町から駆けつけた獣人の1人が、恐る恐る声をかける。


「あの……陛下。よろしいですか?」


「どうした?」


「そちらの黒髪のお嬢様、もしかして」


 勇気ある若者の行動に、周囲は息を飲んで答えを見守る。貴族も含め皆が気になったが、場の雰囲気的に聞きづらかったのだ。ごくりと唾を飲んで待つ人々の耳に、ルシファーは満面の笑みで告げた。


「余の妃だ」


 ざわっと、衝撃が走った人々がどよめく。魔王ルシファーの魔王妃としてリリス姫がいるのに、彼はまた黒髪の幼女を連れてきた。しかも妃だという。


 自分の言葉足らずに気づかないルシファーを、頭を抱えたアスタロトがフォローした。


「こちらの赤子がリリス姫ですよ」


 今度は違う意味でざわついた。魔王妃となる少女が、幼女を通り越して赤子に戻ってしまったとしたら、16歳で婚姻する予定はどうなるのか。


「皆の心配はわかるが、しばらく見守ってくれ」


 これ以上どう説明したらいいのか、わからない。リリスが成長して言葉が話せるようにならないと、前の彼女の記憶が残っているかも判断できない状況なのだ。


 腕の中ですやすや眠るリリスを懐かしく思うルシファーだが、ともに成長してきた期間を彼女が忘れてしまったとしたら、それは悲しいことだ。生きていてくれる以上の幸せはないから、もし記憶がなくてもそのまま受け入れる。


 あの喪失感を思えば、赤子からやり直しても幸せなのだ。この複雑な感情を他者と共有する気はないので、民に説明するつもりはなかった。


「準備ができたものから運んでください」


 侍女達の声が響き、振舞われる食べ物や飲み物を取りに、人々が動き出した。


「よく寝てる」


 この騒ぎでも起きないのは、昔と同じだ。微笑ましくなって緩んだ口元を引き締めながら、リリスの小さな頬を指先でつつく。白い肌を縁取る黒髪は短くて、腰まで届く長さが嘘のようだった。


 些細なことで赤子の頃と少女の記憶が交錯する。不思議な感覚を味わいながら、腕の中の僅かな重さに幸せを噛み締めた。


「陛下、少々よろしいですか?」


 酒で騒ぎ出した民に気づかれぬよう、小声でアスタロトが話しかける。彼の赤い瞳に浮かんだ複雑な色に、溜め息をついた。


「わかった」


 そっと人の輪を抜けて、中庭の奥にある部屋まで移動する。目立たぬように抜けてきたベールやルキフェル、ベルゼビュートもいた。後からイポスが駆けつけ、ルーサルカも顔を見せる。


「ルーシアとレライエは、ご両親に捕獲されました。シトリーはお兄さんに抱き着かれてて動けません」


 的確な状況説明なのに、言葉の選び方がすこしおかしい。ルーサルカが真剣なので、全員が神妙な顔で頷いた。


「ここ数千年の騒動が、一部の魔族の介入による人族の暴走であったとするなら、しばらく泳がせます」


「危険なのでは?」


 ベールの指摘に、アスタロトが黒い笑みを浮かべた。


「関与を疑われる種族は限られています。そのすべてに間者を送り込んでいましたので、問題ありません」


「過去形なのは何故だ?」


 ルシファーの疑問に、腹黒な側近はけろりと答えた。なんら悪びれることなく。


「5万年ほど前から、主要な貴族の館には手の者を配置しておりますよ。今頃、何をおっしゃるやら」


 数代前から仕掛けていたと言われ、ルシファーが絶句する。しかしベールは納得の表情で頷いた。


「なるほど。貴族絡みの案件について、貴方の情報が豊富だったのはそのせいですか」


 どこか褒め讃えるような響きのベールに、ベルゼビュートが呆れ顔で肩を竦めた。


「あたくしの屋敷にもいるんでしょう?」


「いえ、必要ありません」


 驚きの回答に、ベルゼビュートが嬉しそうに頬を染める。


「そ、そう……」


「貴女に隠し事は無理ですからね」


 信用されていたと浮かれかけた気持ちを、アスタロトは容赦なく打ち落とした。項垂れる彼女に、顔を見合わせたイポスとルーサルカが声をかけようとしたとき、ルシファーがはしゃいだ声を出した。


「見ろ、以前と同じ癖だ!! 可愛いな、リリス」


 純白の髪を小さな手が掴んでいる。確かに過去のリリスがよく見せた仕草に、魔王陛下はめろめろだった。


「ルシファー様、リリス嬢と遊んでないで話を聞いてくださいね」


 苦笑したアスタロトやベールも、あの騒動の後で強く言えず、喜ぶルシファーを見守った。

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