361. 育児の記憶ははるか遠く

 会議を行ってもルシファーは聞いていないので、アスタロトとベールに権限移譲と言う形に落ち着いた。貴族は中庭へ、城門前は城下町の住民や遠方から駆け付けた魔獣達が集っている。


 堅苦しいことが嫌いなルシファーが中庭に留まるわけはなく、さっさと城門前の集団へ紛れ込んだ。


 赤子に戻ったリリスを心配する声より、可愛いと褒め称える人の方が多いのは、魔族の柔軟性ゆえだろう。5年経っても外見が1歳しか老けない種族もいれば、成人まで普通だったのに一気に老化してしまう種族もいる。深く考えても答えが出ない状況に慣れていた。


 ましてや魔王ルシファー自身が8万年近く外見が変わらないのだ。その妻となる魔王妃が10年ほど若返ったところで「ああ、そうなんだ」と思う程度だった。


「リリス姫、寝ておられるですね」


「すごい可愛い。10年前もこんなだったのかしら」


「目が大きいわ」


 あちこちで育児を終えた女性達に囲まれ、経験談に基づく知識を押し付けられたルシファーは混乱しながら、飲んでいるドワーフの机に落ち着いた。


「難しい……」


 10年前はそんなに考えず、育児書に従って『ごく普通』に育てたはずだ。産湯うぶゆと称して微温湯ぬるまゆに沈めたり、夜泣きに悩まされ、母乳の確保に苦労したことなど、本人は記憶のかなたに追いやっていた。それに絡んで側近アスタロトが苦労しながら奔走したことも、当然思い出さない。


「子供なんざ放っておけば育つ!」


「あれだろ? かあちゃんが乳やれば終わりだ」


 まったく育児経験がないドワーフは24時間働きたがる種族だが、男が一切家事手伝いをしないことで悪評高い。彼らの話は参考にならないと考えるのが正しかった。強い酒を水のように飲み干す隣で、うとうと微睡むリリスの頬にキスを落とし、慣れた所作で抱いた腕を揺すりながら寝かしつける。


「リリスのベビーベッド、どこに片づけたかな」


 いずれ使う可能性があれば収納魔法に入れるが、数十年単位で使う予定がないのだから倉庫か。リリス関連の物を一か所にしまうよう手配した気がする。記憶を辿りながら、渡された酒を飲みほした。


「おお! さすがは魔王陛下だ。いい飲みっぷりじゃ」


「ほれ、もう一杯」


「「「もう一杯」」」


 勢いに押されて、渡された杯を一気に干す。酒に酔う心配はないので、身を揺すりながら、腕の中のリリスを肴に数杯続けて空けた。


「ルシファー様、リリス嬢を抱いて何をしているのですか」


 酒は控えるのが普通でしょう。ベールとの打ち合わせという物騒な謀略会議を終えたアスタロトが、後ろで溜め息をつく。彼の声に振り返り、素直に疑問をぶつけた。


「リリスのベビーベッドや子供服はどこにしまったか、覚えているか?」


「……もうボケましたか?」


 呆れたと言わんばかりの態度で嘆かれたルシファーは、指摘されて思い出す。


「あなたがリリス嬢用の空間を作って、全部仕舞い込んだでしょう。我々が触るのも嫌がって大騒ぎしましたよね」


 誰にも触らせたくないと駄々を捏ねて、新しい収納空間を作ったのだ。ベビーメリーも、リリスがお気に入りだったおしゃぶりも、劣化しないよう時間を固定した空間へ仕舞った。


「そうだった!」


 すっくと立ちあがり、酔っ払いドワーフの手を掻い潜りながら少し離れたスペースで空中に手を入れる。ごそごそ探って、おしゃぶりを見つけた。大量に入った箱を取り出し、中を覗いて困惑する。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る