563. 帰ろうか、オレ達の城へ
混乱して叫んだ義娘に、汚れた顔を拭きながら肩を竦めた。
「勝手に殺さないでください。我が種族は死ぬと塵になりますから、身体が残ってるうちは生きてます」
くすくす笑いながらルーサルカに構うアスタロト。ベールの汚れた銀髪の泥を水で流しながら、ルキフェルは唇を尖らせた。
「今度やったら、僕も後追うからね」
「それは駄目です」
拗ねたルキフェルの自由にさせながら、切々と生き残ることの大切さをベールが説く。そこにルキフェルが噛みつき、言葉尻を捉えて口喧嘩が始まった。
シトリーは収納から見つけたワンピースをリリスに渡し、ルーシアが
「……あたくしを無視して楽しそうじゃない」
水で汚れを洗い流されたベルゼビュートが、恨めしそうに近づいた。泥に横たわったので、背中は泥だらけで自慢の巻き毛は背に張りつく。胸に突き立てた愛用の剣を抜いて右手に引きずる姿は、捨て猫のようで哀れだが……我慢できずにベールが吹き出した。
「酷い、有様……で」
なんとか笑いを堪えようとするが、口元が緩んでしまう。魔王の暴走を食い止めた安堵から来る感情だった。むっとした顔ながら、ベルゼビュートは手にした剣を収納して肩を竦める。
途中までは計画通りだった。アスタロトが意識を惹きつける囮、魔王を縫い留めて動けなくする役目をベルゼビュート、最後に止めを差したベールが封印する――崩れたのは最後の部分だ。ベールを止めに入ったルキフェルが封印の要となる短剣を奪い、直後に魔力が暴走した。
放出され続ける高濃度のルシファーの魔力に、血と共に流れ出たアスタロトやベルゼビュートの魔力が混じる。そこへルキフェルが高めた魔力で魔法陣を使い、暴走しかけた魔力を制御しようとしたベールが逆凪を受けた。
半身を焼いた魔力を散らして落ちてきたベールの傷ついた肌は、リリスの白銀の魔力で癒されていく。焼け爛れた酷い傷跡も、今はわずかに痕が残る程度だった。
「ルシファー」
今までパパと呼称していた保護者であり婚約者であった男へ、穏やかな声でリリスは名を呼び続ける。苦しいほど抱き締める腕の強さに、愛されていると実感した。何度も背を撫でて、泣き続けるルシファーの想いを受け止める。
「ずっといるよ、リリスを離さないでね」
「リリス……リリス」
名を呼んでしがみ付く魔王を撫でながら、リリスは大人びた柔らかな笑みで周囲を見回した。傷だらけだったが、誰も欠けていない。ぎりぎりで間に合ったことに、リリスは安堵の息をついた。誰か1人でも足りなければ、どんなに後悔したか。
ひとつに溶けて混じってしまえば、きっと不安は消えるのだろう。それでもこうして抱き締められるのは、互いが別の個体だからだ。自分と違う考えをもつ存在を己自身より大切に想う気持ちも、同じ個体なら存在しなかったはず。
「愛してる、リリス」
止まらない涙を拭わず流し続けるルシファーを、リリスは徐々に湿っていく肩で感じていた。溢れるほどの愛情で包み、絶対の安心を与えてくれる人――親であっても、伴侶であっても、同じように価値がある存在だ。
「陛下の翼が……戻った?」
ベールの呟きに、義娘と話していたアスタロトが振り返った。黒い12枚の翼が戻っている。失った魔力は膨大で、翼1枚で数匹のドラゴン種族の魔力と並ぶほどの欠損だった。4枚分の魔力を回復したなら、今の魔王は最強の名に相応しい魔力量を誇る。
「驚きました、また魔力量が増えていますね」
量るように見つめていたアスタロトが、苦笑いして首を横に振る。即位記念祭で何度か12枚の翼を広げて見せたことがあった。その際のどの時より、ルシファーの魔力量が大きい。大公3人を倒した時より、明らかに増えていた。
一つの個体が持つ上限だと思われた魔力量を、悠々越えてくる魔王にルキフェルが首をかしげる。これほどの魔力が溢れず、暴走せず、内部に留まる条件が分からない。魔族の中には魔王の座を狙って、他種族を吸収した者もいた。彼らは制御できずに破裂して死んだのだが……。
制御の自覚がないルシファーの体内は、魔力を上手に巡らせていた。
「ねえ、そろそろ城に帰らない?」
ベルゼビュートが肩を震わせてくしゃみをする。それから提案した一言に、誰もが一瞬返事に詰まった。魔王妃は行方不明、魔王を封印した大公はルキフェル以外殉じる。全員そろって帰れるなんて、考えていなかったのだ。
「そうだな、帰ろうか」
オレ達の魔王城へ――そう呟いたルシファーに、笑ったルキフェルが魔法陣を丁寧に描いた。全員を取り込んだ魔法陣が発動し、この場から姿が消える。残されたのは人族の文明が滅びた痕跡のみ。
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