1145. 思わぬ事態ですわ
人族の少女を確認したベルゼビュートは、さっさと魔王城を逃げ出した。捕まったら経理の計算が待っていて、そのついでに書類をいろいろ書かされるのよ。過去の経験から危険性を察知した精霊女王は、辺境地域へ転移すると安堵の息を吐いた。
少し歩いて、木々がまばらで日当たりの良い土地で足を止める。柔らかな土にヒールの高い靴が沈まないよう、わずかに浮く器用なベルゼビュートはひとつの草を見極めると、その場でしゃがみこんだ。土でドレスが汚れても気にせず、何も植わっていない場所に腰を下ろす。
「ちょっと聞いてもいいかしら」
声を掛けると、植わっていた草がひょこっと顔を見せる。根に近い球根部分が本体のアルラウネだ。人族はマンドラゴラと呼んで、薬にするため乱獲した。引っこ抜く際に悲鳴を上げるのは、彼女らが植物ではなく意思疎通の可能な魔族だからだった。
「何かございまして?」
「最近、この辺りで人族を見かけた?」
「いいえ」
答えたのは、アルシア子爵の肩書きを持つアルラウネだった。よく見ると葉の本数が一番多い。一族最多の魔力量を誇る個体だ。ちなみにアルラウネに個々の名は存在しない。長となった個体のみ、アルシア子爵の名を継承してきた。
「近くを通った話を聞かなかった?」
「また出たんですか?」
嫌そうに呟くアルラウネの葉を撫でて、僅かに魔力を与える。礼を終えると、立ち上がって腕を一振りした。周囲のアルラウネ達に柔らかな雨が降り注ぐ。嬉しそうに葉を揺らして根から吸い上げる彼女達に、ベルゼビュートは微笑んだ。
「安心して、この辺りには近寄らせないわ」
精霊女王の確約に、ほっとした様子のアルラウネ達は葉を盛大に揺らして見送った。パチンと指を鳴らして転移したベルゼビュートは、魔狼達の群れの前に現れる。魔王や側近達の行動で慣れているため、セーレはすぐに伏せて敬意を示した。
「ベルゼビュート様、魔王城から戻られましたか」
「ええ、見張りをありがとう。助かったわ」
魔王城へ戻っている間、人族に襲われそうなシルフやアルラウネを守ってくれるよう声をかけていった。礼を兼ねて、魔狼達にも魔力をお裾分けする。
「ねえ、魔王城の近くに人族が現れたの。何か知らない? アルラウネ達は人族を見ていないわ」
最低限の情報を与えて様子を見る。ここで誰かが知っていると話した情報は、自分が既に把握している情報と照合できる。勘違いも含めて区別するため、必要以上の話は不要だった。
「我は見ておりませぬが……」
フェンリルというのは、代々堅苦しい話し方をする。父親のヤンとそっくりだった。思わず比べてしまい、ベルゼビュートの口元が緩む。指先でくるくるとピンクの巻毛を弄りながら、他の魔狼の反応を窺った。
「私、つい先日に1人で歩いている子供を見ました。でも子どもでしたし、お腹いっぱいだったので」
「見逃したのね。別に問題はないわ。どんな子どもだったの?」
魔族はどの種族も子どもを大切にする習慣がある。親が何らかの理由で死に孤児となれば、すぐに同族が引き取る。事情があって引き取れない場合であっても、別の種族が引き取ることが多かった。貴族の義務として、孤児という存在は無くすものと考えられている。
人族といえど、子どもは大した危害を加えてこない。弱い種族の子を強者である魔狼が、ふらふらと歩く子どもを見逃すのは当然だろう。子どもに罪はないと考える風習が根強いのだ。
「人族の大人の半分ほどの男の子でした」
「……やだ、そんなに紛れ込んでるの?」
魔王城で見つかったのは少女、今度は少年らしい。魔獣である狼は鼻がきくので、男女を間違えることは考えにくかった。溜め息を吐いて気持ちを切り替え、ベルゼビュートは唇をきゅっと引いた。
「ありがとう、助かったわ。今後は人族を1人でも見つけたら、魔王軍へ通報してちょうだい。大人なら処分してもいいわ。あたくしの権限で許可します」
「「承知いたしました」」
頭を下げる魔狼達から離れた位置に転移したベルゼビュートは、森の番人であるエルフに協力を仰ぐべく里へと飛んだ。
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