264. お茶するからお座りして!

 魔王の執務室は静まり返っていた。音がしないドアを、リリスがノックする。返事がない。


「遮音結界ですわ。困ったこと」


 眉をひそめて呟いたアデーレが、扉の上に手のひらを当てた。魔力を流していくと、リリスの目にオレンジかかった朱色の魔力が見える。ゆらゆらと揺れる魔力が、結界を作り出すアスタロトの赤い魔力を侵食して……ドアは内側から開いた。


「何を……、リリス嬢?」


 説教しながら書類を片付けさせていたアスタロトは、邪魔が入らないよう結界を張った。その魔力を侵食する同種族の魔力に文句を言うつもりが、開いた扉の先には5人の子供と侍女、護衛達がいる。


 表情を和らげて、視線を合わせるために膝をついた。


「ルシファー様にご用ですか?」


「うん! お菓子作ったの、一緒にお茶飲もう」


 無邪気なリリスに毒気を抜かれ、振り返った執務室ではルシファーがそわそわしていた。立ち上がったり座ったり忙しい純白の魔王の集中力は、遥か彼方に逃げている。


「わかりました。お茶にしましょうか」


 お菓子を作ったリリスの好意を無碍にする気はないし、集中力が切れた主君のダメっぷりも理解していた。この場合はお茶の後にもう一度集中させた方が効率がいいのだ。


「アシュタ、ヤンとピヨもいい?」


 大型犬サイズのフェンリルと、鸞鳥らんちょうのヒナはお行儀よく廊下に控えている。


「構いません。それと預けた御守りをいただけますか」


 ポシェット内の魔法陣の紙をさりげなく回収して扉を開けるアスタロトへ礼を言って、リリスはご機嫌でルシファーの待つソファーへ向かった。


いつの間にか、別の部屋から移動させたソファやテーブルが増えている。休憩となった途端に手際のいいルシファーは、近づいてきたリリスを手招いた。


「リリス、お膝においで」


「やだっ! リリスは赤ちゃんじゃないから、自分で座れるよ」


 しょげるルシファーの前のテーブルに籠をおいて、当然のように隣によじ登る。並んで座れるならいいかと思ったルシファーだが、リリスの動きは止まらなかった。見守るルシファーの肩に手を置いて、膝の上にぺたんと座る。


 目を瞠ったルシファーだが、すぐに頬を笑み崩してリリスの黒髪に唇を押し当てた。


「リリスもすっかりお姉さんだね」


「うん」


 抱っこして座らせてもらうのは赤ちゃんみたいでダメだが、自分で膝の上によじ登るのは構わないらしい。リリスの基準が不思議だが、指摘する者は誰もいなかった。絶世の美貌をデレデレと崩す魔王を前に、そんなことは口にできない。


 テーブルの上の籠に手を伸ばすと、ルーサルカが手渡してくれた。中から引っ張り出したお菓子をアデーレが皿に盛り付ける。


「ありがと……なんで皆立ってるの?」


 首をかしげるリリスの姿に、理由に思い至ったルシファーが説明する。


「リリス、魔王と妃の許しがないと同席はできない決まりだ。だから座っていいと許可する必要があるんだよ」


「そうなの? アシュタもロキちゃんも勝手に座るのに」


 思いがけない暴露に、アスタロトの笑顔にヒビが入った。冷めた眼差しを向けるアデーレは、手際よくお茶を用意していく。


「そういや、オレの側近はベール以外勝手に座るかも」


 深く考えたことなかったと頷くルシファーは、膝の上のリリスに許しを与えるよう促した。


「皆に座っていいよ、と伝えて」


「うん。一緒にお茶するからお座りして!」


 普段からヤンに言い聞かせる時の口調になったため、まるでペットに「お座り」を言いつけるような言葉が飛び出す。しかし悪気がないと知っている4人は会釈して座った。リリスは言葉が足りないというより、相対した種族が少なすぎるのだ。そのため対応する言葉が限られていた。


「次からは、お座りくださいと言おうか」


「わかった」


 さすがに「お座り」はどうかと思ったルシファーの提案に、リリスは素直に同意する。物覚えはいい子なので、すぐに慣れて上手に振舞えるようになるだろう。


「ヤン、ピヨもこっち」


 手招きされたヤンが匍匐前進ほふくぜんしんで近づき、真似るピヨも這いずってきた。


「ヤン、お座り」


 これは直さなくていいのか? いや、これでも魔の森の元獣王だから失礼なのか? 注意すべきか迷うルシファーの前に、紅茶とお菓子が並べられた。

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