322. 舞踏会を強請った理由

「さて、陛下は執務に戻りましょう」


 試着で勝手に抜け出したルシファーを執務室へ追い立てるベールが、アスタロトと視線を合わせる。アイコンタクトで打ち合わせを終えたベールは、廊下にルシファーを追い出して扉を閉めた。何やら騒いでいるが、やがて足音と共に声は小さくなる。


「リリス姫」


 公的な呼び方に、リリスはくすくす笑いながら紅茶に手を伸ばした。アデーレが用意したお気に入りのカップを口元に運び、残ったカップを勧める。


「お話なら伺いますわ。どうぞお座りください」


 優秀な家庭教師に叩きこまれた作法で、優雅に紅茶を飲んだ。ストレートの紅茶を口にするリリスだが、ルシファーが隣にいると蜂蜜を少しだけ垂らす。


「お言葉に甘えて失礼いたします。リリス姫」


 珍しく立場を強調するアスタロトの斜め後ろに立つアデーレの顔を見て、リリスは状況を悟った。どうやら魔王の私室というプライべート空間で、魔王妃候補が他の男と2人はいくら側近相手でもマズイらしい。侍女もいたという形が大切なのだろう。


 それならば別の部屋に移動すればいいのだが、よそに流れると困る内容を話すという意味か。察しのいい少女は、長くなった黒髪の毛先を指で弄りながら続きを待った。


「貴女に駆け引きは無用ですね。どうして陛下に舞踏会の開催を強請ったのですか?」


 これはベールもいぶかしんでいた。15歳まで社交界デビューしない魔王妃候補は、魔王陛下が鳥かごの中で大切に育てている――魔族共通の認識だ。そのため十数年程度は夜会や舞踏会を開催しなくとも問題はなかった。


 魔王ルシファーの前では幼く振る舞うリリスだが、信頼できる側近の前では大人びた言動が増えてきた。そんな彼女が強請った舞踏会は、どのような思惑が潜んでいるのか。アスタロトやベールが気づいて警戒するのは当然だった。


 騒動が起きると知っていて強請ったのか。ただの偶然か。お人形のような美しい外見と似合わぬしたたかさを持つ少女へ、アスタロトは有能な外交官に対する作り笑顔で応じた。


「魔王妃になるまで、あと5年近くあるわ」


 16歳を婚礼年齢と定めた昨年の議決を持ち出したリリスは、言葉を選びながら続ける。


「私がパパのお嫁さんになるまで5年。長いけれど、短いのかしら。アスタロト大公、私はなのよ。それも大きな獲物ほど好き。待ち伏せより狩りだす方が楽しいわ」


「それはそれは……今のリリス姫ならば、でしょう」


「ええ。必ず仕留めるわ。手助けはいらないけれど、邪魔もしないで頂戴ね」


 しっかり釘を刺して、隠語だらけの会話が終わる。挨拶をして立ち上がるアスタロトを見送りながら、リリスは残りの紅茶に口をつけた。扉の前で足を止めて振り返る吸血鬼王が、口角を持ち上げて笑う。わずかに見えた牙を隠すように表情を取り繕い、穏やかな所作で部屋を辞した。


「リリス様、少しが過ぎますわ」


「いいじゃない。アシュタも分かってくれたもの」


 口調が素に戻り、注意したアデーレが新たに注いだ紅茶の香りを楽しむ。2杯目は別のハーブティーだった。先ほどより強いミント系のすっきりした香りに頬を緩める。


「それに……私が動かないと、あの4人が勝手に片づけてしまうわ」


 思い浮かべたのは、自ら選んだ少女達だった。勉強も遊びも、マナーやダンスまで。いつも一緒に過ごしてきた彼女らは、ルシファーと同様にリリスに甘い。寄り付く獲物を先に狩ってしまおうとするほど忠誠心厚く、優秀過ぎて困るほど。


「たまには、私が狩りをしてもいいじゃない」


 拗ねた口調で唇を尖らせるリリスに、侍女長アデーレは苦笑いしてミント香るカップに蜂蜜を垂らした。

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