321. 黒歴史もたまには役立つ

 魔王史は巨大な本で、広げると机を占領するほどのサイズがある。しかも10年ごとに1冊増えるため、その厚さも半端ではない。魔力で浮かせていなければ、1人で運搬するのは不可能だった。


 机の上に広げた7265巻は、およそ8000年ほど前の出来事が記されている。これは文官の手によって記された歴史書であり、持ち出しや複製が許されない禁書の一種だった。都合の良い歴史ではなく、事実をありのままに綴った文章を目で追う。


「……懐かしいな」


 当時、若くして大公の地位に就いたルキフェルは一部の貴族に疎まれた。妬みが根本にあり、何かにつけて足をひっぱり邪魔をする。そんな彼らに対して怒ったルシファーが、余計な発言をしたのが原因だった。


 『ルキフェルに勝てぬ者が足を引くなど愚かしい。余の治世に不要な輩だ』


 この言葉が独り歩きした結果、『ルキフェルに勝たねば不要であり殺される』に変化した。大公に任じられるほどの実力者を負かせる貴族はいない。それだけの実力があるから大公の地位を与えられたのだ。


 魔王の魔力が込められた言葉には言霊が宿るため、容易に撤回もできない。しかもルシファー本人はオレは間違っていないと言い切り、撤回を渋ったのだ。誓約ではないが、それに近い状況を作り出してしまった。


 親魔王派貴族によるルキフェル排除派の粛清が始まり、一時期歴史書が赤く染まるほど殺戮が横行した。事態の鎮静化は望むが己の発言は撤回しないルシファーに、アスタロト達側近が提案したのが内容の挿げ替えだった。


 『魔王の言葉に異を唱えてルキフェルを害する輩は、魔王の裁きを受ける』


 内容は似ているが、言い回しが変わっただけで貴族の反発が減った。まず親魔王派は冷静になり、魔王の言葉を侮った者以外に手を出さなくなる。同時にルキフェルを妬んだ者らは、ルシファーの裁きを恐れて口をつぐんだ。それから1200年ほどで実績を積んだルキフェルは名実ともに認められ、貴族からの表立った反感も消えた。


 事例としてはかなり違うが、これを手本に内容を挿げ替えるしかない。そもそも誓約が厄介なのは、破ると魔力が激減することだ。数万年単位で元に戻るが、長い間魔王の魔力が不足するのは問題があった。


 以前に魔力の流れが乱れた時と違い、激痛が伴わないのは救いだが……長い年月誓約による魔力制限を受けたら、当然他の種族や貴族たちにバレる。魔族の平和は、絶対君主で最強とされる『純白の魔王』あってこそだ。


 一番の安全策を考えるなら、魔王ルシファーが舞踏会を我慢すれば済むのだが……。まあ無理だろうと側近達は諦め気分だった。


「リリスの15歳でデビューは変更できない」


 ここが誓約の中心なので、読み換えは不可能だ。すでにあれこれ調整しようとして失敗したアスタロトが、淡々と抜け道を提案した。


「仮面舞踏会としましょう。顔を隠すことで、デビュー前の少女も参加が可能です。幸いにして最近は顔を隠した舞踏会が流行っておりますから、怪しまれずに済むでしょう」


「なるほど」


 社交界デビューしていない子女は、正式な舞踏会に参加することができない。これは魔王城有史以来の決まりなので変更は難しかった。その上リリスのデビューも出来ないとなれば、仮面舞踏会はぎりぎりの手段だ。


「問題もあります。魔王陛下と魔王妃候補の姫が身分を隠して参加する形になるため、何らかの騒動は予想すべきでしょう」


 リリスと知らずに声をかける貴族の子弟や、魔王と知りつつ仮面を理由にダンスを強請るご令嬢を想定しなければならない。常にベールやアスタロトが付き添う手もあるが、完璧ではなかった。


「簡単よ。最初に入場の場で言ってしまえばいいわ。『魔王陛下のお成り』ってね」


 話を吟味ぎんみしたリリスの言葉に、ベールは「良い手ですね」と賛同した。魔王であるルシファーは仮面舞踏会で正体がバレていても問題ない。ならば、一緒に腕を組んで入場する姫君が誰か――言葉にしなくても、参加者は理解するだろう。手を出す愚か者の懸念を大幅に減らせる。


「賢くて可愛いなんて、リリスは最高のお嫁さんだ」


 褒めるルシファーの手をとって、リリスは嬉しそうに頷いた。

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