697. 誉め言葉から始まる説教
地味にショックを受けるルーシア達の心境を知らず、ルシファーも取り出した焼き魚を差し出した。
「食べるか? こないだ出来たミヒャール湖の魚だぞ」
できた湖ではなく、クレーターを作ったミヒャール国跡地の水たまりである。魚取りが得意な獣人やリザードマンの有志連合が、祭り用の食材として捕獲した魚だった。
「うん」
子供はこれまた素直に受け取ってかぶりつく。串を自分の方へ向けて頭から魚を齧ろうとしたため、ルシファーが一度止めた。それから串を抜いて両手で魚を持たせる。以前に肉の串でリリスが同じことをして、口の中をケガしたのだ。子供の扱いに慣れた魔王の配慮に、少女達は素直に感心している。
「我が君、我をお忘れですか」
「あ、ああ。悪い」
子供が魚を食べる姿を見守るルシファーは、後ろからかけられた声に慌てた。振り返って、鼻や背中、頭の上にも荷物を乗せている。ぎりぎりでバランスをとる器用さは見事だが、忘れていたルシファーを含め誰も助けてくれないので声をかけた。
気配を殺しすぎて、気づかれないフェンリルの悲劇だった。
「これでよし。よく我慢したな、ヤン。えらいぞ」
「そういう問題ではありません。陛下」
公的な呼び方をされたルシファーだが、何を叱られているのかわからない。子供を探すのを任せて、外できちんと民と触れ合ってきたのに何が不満だ。むっとしながら振り返ると、溜め息をついたベールが先に口を開いた。
「荷物をすべて手で運ぶ必要はないでしょう。陛下の収納へ入れたら良いではありませんか」
「プレゼントしてくれた民に失礼であろう。彼らは手で運んだり、咥えて走ってきてくれたのだ。もらって中身も確かめず、収納へほうり込んだら蔑ろにしたと思われるぞ」
正論なのだが屁理屈の印象が強い。普段から言い逃れることに慣れたルシファーは、けろりと反論してみせた。そう、まるで答えを用意してあったかのように。
「贈り物を用意した者への礼儀と感謝の心を忘れない姿は、さすがルシファー様です」
褒める言葉からスタートするアスタロトは危険だ。経験から知るルシファーが警戒を強める。ましてや呼び方をまた私的なものに変更した。絶対に仕掛けてくる――用心深く次の言葉を待つ。
「姿が見えなくなった時点で収納すればよかったのでは?」
「その行為が、他の者の目に触れれば同じであろう。口を伝い、言葉を経て、彼らのもとへ届かないといえるか?」
この程度なら応戦可能だ。ルシファーに少し余裕が戻る。しかし長く側仕えをした吸血鬼の反撃はここからだった。
「ええ。そこまで気遣っておられるのですね。近くにコボルトはおりませんか? 侍女は? ベリアルは何をしていたのでしょう」
「う……ぐ、いたが……」
いなかったと言えば嘘になる。いたと答えたら、なぜ彼らに持たせなかったのかと詰められる。失敗したと顔をしかめるルシファーに代わり、リリスが矢面に立った。
「みんな、今日は忙しいのよ。だってお仕事しているんだもの。邪魔してはいけないわ」
「陛下の手元の荷物を運ぶのは、侍従の仕事です。彼らの仕事を邪魔したのはリリス様でしょう?」
うーん? 考え込んだリリスは、丸め込まれかけている。そんな気もしてきた彼女が頷こうとしたところを、ルシファーが助けに入った。
「い、いや。邪魔をしないために運んだ。彼らの申し出を断ったのはオレだ」
全責任を負うつもりで言い切ったルシファーへ、アスタロトは獲物に向けるご機嫌な笑顔を向けた。整った顔に浮かんだ笑みは優しそうで美しいが、正体を知る魔王は怯える。
「なるほど、陛下が断ったのですか……彼らの仕事を奪う正当な理由があったのですね?」
「そ、そんなものはない!!」
開き直ったルシファーの負けだった。そこから「魔王としての威厳うんぬん」「魔族の象徴たる存在がetc」「ご自分のお立場」と「配下の仕事を奪う」ことへの説教が始まる。
チートだからこそ、他者を上手に使わないと失業する者が出る。
「リリス様、他人事のように振舞っておられますが同罪です」
ぴしゃりとアスタロトに引き戻され、リリスも一緒に説教を受け終わる頃……窓の外はすでに月が昇っていた。
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