1150. そうだ、合宿をしよう

 ざわざわ揺れる葉を見上げるリリスは、目を閉じて大木に抱きついた。回した両手に伝わるのは、苔に覆われた柔らかくしっとりした手触り。押し付けた耳に届くのは、吸い上げた水を運ぶ脈の音だった。ひんやりとした大木と対話するリリスの表情が、柔らかくなる。


「困ったわね、伝えるわ」


 目を開けてそう呟き、魔の森の大木から身を起こした。後ろで待つ護衛のイポスとヤン、同行したルーサルカとレライエに微笑む。ルーシアは休み、シトリーは別の用事を言いつけてあった。


「もうよろしいのですか?」


「ええ、戻りましょう」


 そろそろルシファーも帰ってきそうだし。森の木々が伝えてくれる情報を受け止めながら、リリスはヤンの背に跨る。


「姫、お行儀が悪いですぞ」


 ヤンに注意され、足を揃えた横座りに直した。レライエとルーサルカも乗せたヤンが歩き出し、後ろをイポスが付いてくる。


「イポスも乗ればいいのに」


「私は鍛えていますし、護衛ですから」


 こうなったら命令しない限り、隣に乗ってくれないだろう。立場の違いがあるというのは学んだけれど、人目がない場所ならいいじゃない。そう考えるリリスは、イポスとの間に距離がある気がしていた。その距離を縮めたいと思う。だって、ヤンはこんなに近くにいてくれるのよ。


「イポスは私のこと、嫌い?」


「いいえ! なぜそのようなっ!!」


 怒らせてしまったかしら。大きな声で否定された。否定するということは、嫌いじゃないのよね? 余計に混乱して、リリスは首を傾げる。


「あのね。私とヤンは仲良しでしょ? でもイポスはいつも一歩後ろにいる気がするの。それが悲しいわ」


 護衛だから……その言葉がまるで壁のよう。理由にして距離を置かれた気がしてしまう。私を守ってくれるのに、手が届かないの。そう嘆くリリスの言葉に、イポスは衝撃を受けていた。


 父親が将軍サタナキア公爵として、魔王城に仕えてきた。その姿を見て、同じように振る舞ったつもりだ。失礼がないよう、立場を弁えた対応を。私は罪人であり、許されて魔王妃殿下のおそばに立つのだ。いざとなれば盾となって散る覚悟もあった。当たり前と考える振る舞いが、主君を傷つけているなんて――想定外だった。


「もう……しわけ、ございません」


 謝るしかないイポスに、ヤンは苦笑いする。年の分だけ経験が豊富な老狼にしてみたら、どちらも極端すぎた。いきなり距離を詰めて受け入れられないと嘆くリリスも、主君を立てるあまり距離が掴めないイポスも。互いにあと半歩ずつ前に出て譲歩したら、手が届くのだ。


「ふむ。イポスはもっと肩の力を抜いたらいい。普段は友人感覚で構わぬのだ、それを姫がお望みなのだからな。公的な場では、大公閣下のように振る舞えばいい」


 アスタロトとルシファーの距離感、あれが一番理想的だろう。普段は悪友と呼ぶに近い関係であり、互いに気を使うことはない。公的な立場や場面が表に立つときは、主従の形を取る。それで問題はなかった。


「リリス姫はもう少しお転婆を控えられよ。姫の傷ひとつで陛下がどれほど悲しむか、考えて動いてくだされ。さすれば、互いの距離も縮まるでしょうな」


 ヤンの言葉に、一番理解を示したのは翡翠竜だった。レライエの肩にしがみついた緑の尻尾が大きく左右に揺れる。


「中途半端に距離があるから難しいなら、一度距離を無くしてみるのも効果的です」


 完全にフラットな関係で、地位も立場もなく。お互いを1人として認める。そこから始めてみては? アムドゥスキアスの提案に、レライエが手を叩いた。


「そうだ。合宿をしましょう!」


「「合宿??」」


 顔を見合わせたリリスとルーサルカは、楽しそうと頷く。思っていた方向と違う話に転がっていることに気づき、方向修正を図ろうとするヤンだったが……すでに手遅れだった。


 陛下……申し訳ございません、何か奇妙な騒動の予感がしますぞ。

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