931. 魔力調整訓練の約束を

 アスタロト大公の黒手帳――魔王の秘密ややらかしから始まり、同僚の失態や歴史に記されない裏側まで描かれているらしい。書き込んだ当事者以外に読んだ者のいない手帳を畳み、彼は無造作に足元の影に放り込んだ。


「さて、誰から聴取しましょうね」


「「「「陛下から」」」」


 大公女達と護衛が一斉に口をそろえた。なんてことだ、主君を売ったな! だが睨む前に、ルシファーの隣でリリスが無邪気に手をあげる。


「私が最初でもいいわ」


「それはダメだ。一緒に行こう」


 婚約者であり、大切な養い子でもあるリリスを守るため、魔王は先陣を切った。そう表現すると恰好いいが、相手が側近な上へっぴり腰なのでイマイチ締まらない。リリスの肩を抱いたルシファーから聴取することになり、アスタロトは笑顔で切り出した。


「今回の騒動の大まかな内容は掴んでおります。ルシファー様には質問があるだけですよ」


 物腰柔らかく、笑顔で告げる。しかし目が笑ってない。気づいたルシファーはぐっと気合を入れて「なんだ?」と尋ねた。


「騒動の原因にお気づきですか?」


 普通なら「人族が襲ってきた」と答えるところだが、アスタロトがそんな平凡な答えの質問をするはずがない。誰かが原因で手引きしたとでも言うのか?


 そういえば、この場に人族が現れたこともおかしい。人族が住む海沿いの土地から魔王城を通り過ぎた後ろ側にある巨人の街に、人族が無傷で到達した理由は何だ? 魔王城までのルート上に棲む魔族は、人族を見ても姿を晦ますだけ。対抗したりしない。


 魔王城から出された通達に従い、彼らを損害なく通過させることに慣れていた。しかし魔王城のすぐ後ろはアスタロトの領域だ。さらにその奥まで、人族が無傷で通過するのは不可能に近かった。吸血系種族にとって、迷い込んだ人族は御馳走のはず……。


「……関与があったのは確かだろう」


 魔族による転移か。あの人族が魔族の手を借りるわけがない。人族は利用されたのだと気づいて、ぼかした答えを出す。正解だと満足気に頷いた側近が、今度はリリスに向き直った。


「リリス様は自分の行動に責任を持つこと、魔力の調整を勉強する必要がありますね」


「どうして?」


 きょとんとした顔のリリスは自覚がなかった。大量の水で迷惑をかけたのはもちろん、魔法に込める魔力の調整が出来ていないことも理解していない。汚れた赤い色は取れたのだし、ついでに地面まで流したから綺麗になったと思っている。金の瞳を瞬かせる少女に、ルシファーが溜め息をついた。


「ルシファー様によく聞いてください。では護衛のヤンとイポスから始めましょうか」


 叱ったり教える役を丸投げされ、ルシファーはリリスを連れて門の入口まで移動した。素直に歩くリリスは「変なアシュタ」と呟き、愛用のポシェットから飴を取り出す。ぽんと口に放り込み、ルシファーに首をかしげた。食べるかと尋ねる彼女に首を振り、ルシファーは収納から取り出した長椅子を置く。


「座って」


 素直に隣に腰掛けるリリスと斜めに向かい合い、彼女の両手を握った。目を覗き込んで言い聞かせる。


「リリスが出した水は血を洗い流したけど、同時に証拠も流してしまった。今度は魔法を使う前に聞いて欲しい」


「雷は使ってないわ」


 幼い頃に雷の魔法を使う時は確認するよう教えたが、今回は水だった。対象外だと唇を尖らせて抗議するリリスは、叱られる理由に心当たりがない。汚れたから洗ったのに。


「う、ん。そうだな。敵が来ても雷を使わなかったのは偉い。だが予告なく水を掛けたら危ないだろう?」


 そう言われると、そんな気もする。耳に水が入ったヤンが悲鳴を上げていたし、シトリーはくしゃみをしていた。


「リリスはオレと一緒で魔力が多いから、明日から調整の訓練をしよう。そうしたら使えるようになる」


「わかったわ」


 みんなに迷惑を掛けるのは本意ではない。それにルシファーと2人で訓練は楽しそう……素直に受け取ったリリスがにっこり微笑み、役目を半分終えたルシファーはほっと安堵の息をついた。

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