60. 毛玉は居心地が良かったようです

 ばさりと翼の音がして、上空からアスタロトが降り立つ。きょろきょろ周囲を確認し、魔力で位置を特定したルシファーの埋まる灰色の毛玉に声をかけた。


「セーレ、陛下を出していただけますか?」


 尻尾が緩められると、埋もれて見えなかったルシファーの白い髪が覗く。左腕のリリスを抱いたまま、浮き上がったルシファーがばさりと翼を広げた。


「陛下、埃が……」


 正確にはセーレの毛である。振り払うために風魔法と翼を使ったルシファーだが、目の前で顔をしかめるアスタロトへ飛んでいったらしい。ゆったり降り立つルシファーの黒い衣に灰色の毛は付着していなかった。


「悪い。それと、今日から『セーレ』改め『ヤン』になった」


 改めて紹介され、事情がわからないアスタロトが首をかしげる。傍を離れた僅かな時間に、何があったのか。


「我が君が、代替わり後の呼び名をくださいました」


 ふさふわの尻尾を全力で振りながら、ヤンは嬉しそうに告げる。後ろで魔の森の木が数本根っこから吹き飛んだが、まあこの森にとっては日常茶飯事だろう。数日あれば元に戻る異常な回復力が、魔の森の所以だった。


「よかったですね、ヤン」


 大きな毛皮をなでたアスタロトは、ひとつ息をつくと気持ちを切り替えた。


「ご報告申し上げます。人族のほとんどは北の街道付近まで逃れました。獣人族の血を引く半獣人族が数十名、魔の森への帰属を申し出ております。さきほどの火は、魔熊に驚いた人族の魔法使いの放った炎でした。すでに消しとめ、残った人族を街から押し出す作業に入っております」


 端的で要点を掴んだ報告に、ルシファーは「うーん」と複雑そうな返事をした。さきほど飛んだため、首に手を回して抱きついているリリスが、「ふぅん」と真似をする。溢れる可愛らしさに、反射的に頬ずりしたルシファーが空中に地図を取り出した。


 半透明の地図に描かれた魔の森は巨大だが、ほとんどが綺麗に色分けされている。


「新しく半獣人族が増えるのはいいけど、魔の森に空き地はほとんどないぞ。この辺を削るか?」


 自らの領地であることを示す薄いグレーを指差すと、呆れ顔のアスタロトが淡々と指摘した。


「その場所は魔王城の守りの要ですよ。魔王軍を取り仕切るベールが許さないでしょうね。私もですが」


「だって他にないぞ?」


「にゃーぞ?」


 真似がマイブームのリリスの黒髪へキスしながら、ルシファーは地図の縮尺を変えた。魔の森以外の領域も表示させるが、やはり余りと呼べる地域はない。落ち度もないのに誰かの領地を削れば、最終的に揉め事の種となるだろう。


 人族と獣人族のハーフやクォーターが生まれたとしたら、久しぶりの新種族だった。生活に困らないだけの土地を与えてやりたい。しかし住める土地は限られていた。


「私の領地を返上しましょうか?」


「それだと、やっぱりベールが怒るだろ。魔王城の真後ろだもんな」


 背後を取られると叱責されるのは確実だった。顔を突き合わせて地図を覗いていると、リリスも真似して地図を眺める。ほんわかしてしまうルシファーとアスタロトが顔を上げたとき、尻尾を振るヤンが指摘した。


「緩衝地帯の森と接する地域が空いておりますぞ。魔の森に近い、街があった領域は空白となります。我が一族がたまわる理由もありませぬゆえ、半獣人族が使いやすいよう整えればよいかと」


 緩衝地帯そのものは手付かずで残す必要があるだろう。しかし人族が開拓した地域は、街を消した空白地帯となる。魔の森の領域外である土地は、しばらく木も生えない更地だった。誰も持ち主がいない土地ならば、彼らに与えても問題ない。


「それだ!」


 顔を見合わせて意外な意見をくれたヤンの鼻先を撫でる。手を伸ばして真似するリリスが、そのまま鼻先に抱きついた。以前のように噛んだり引っ張ったりしないため、ヤンも大人しく受け止めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る