537. 最優先はお昼寝です

 解せぬ……なぜまた攻撃された?


 オレリアの集落は、上級妖精族ハイエルフの里だ。当然ながら魔王に攻撃する理由はないのだが、目の前で押さえつけられた少年が必死に叫んでいた。


「オレリア姉様をめかけにするなんて! 絶対に許さないからな!!」


「ふむ……側室を求めた記憶はないが」


 首をかしげるものの、怒りはわかない。アスタロトが同行していなくて良かったと思う程度だ。笑顔を浮かべて敵をなぶるタイプの男だから、それはそれは残酷な方法で少年の心は折られただろう。折る程度ならいいが、粉砕される可能性もあった。


 誤解の原因は不明だが、命がけの抗議を無視する気はない。子供の意見であっても、大切な民の声ならば聞き届けるのが執政者の役目だとルシファーは考えていた。


 地面に伏した両親が寛恕かんじょを求める。ハイエルフの村は騒然としていた。入り込んだ人族を排除しに行った同族はまだ戻らず、転移で現れた魔王に子供が短剣を振りかざした。風の魔法が付与された短剣は鋭く、しかし魔王の結界に阻まれて折れる。


 状況を把握した長老が駆け寄り、許しを請うためにひざまずき深く頭を下げた。


「申し訳ございません。我らの一族から造反者ぞうはんしゃを出すなど……魔王陛下に逆らった子供には罰を与えますゆえ、どうか命ばかりはお許しください」


「誤解があるらしい。余は厳しい罰を望まぬぞ」


「……お、おお。何という慈悲深いお言葉……」


 感涙する長老には悪いが、とりあえず状況を整理して話を聞きたい。どう声掛けしたものかとルシファーが困惑の顔で溜め息をついた。リリスはうとうと眠りかけており、大きな声で騒ぐのも正直遠慮してもらいたい。


 詫びも話も説明も小声にしてもらおう。ルシファーが口を開く直前、風に乗ったオレリアが舞い降りた。追いかけてきた同族も次々とルシファーの前に現れ、大急ぎで伏せて頭を擦りつける。同族からの念話を受けて全速力で戻ったらしい。


「陛下、私のせいです。お詫びはいたしますゆえ! どうか……、この子の命は!!」


 絞り出した声で助命嘆願され、大きな声にびくりと肩を揺らしたリリスが「ふえっ」としゃくり上げた。子供は眠りかけと寝起きが一番厄介だ。機嫌が悪いことも多く、眠り掛けの心地よさを破られたリリスも例外ではなかった。


「うぁあああ! パパのばかぁ!!」


「えええ?! オレが悪いのか?」


 慌てて腕の幼女を揺すって落ち着かせようとするが、赤子の時より手ごわい。両手をばたばたさせてルシファーの顔を遠慮なく殴り、足を突っ張って仰け反る。落ちそうになったリリスを抱きとめると、今度は全力で殴られた。


 暴れるリリスをぎゅっと抱きしめて、何とか密着に成功する。これで手足をばたつかせる攻撃の大半は防ぐことが出来るし、背中を叩いて落ち着かせることもできそうだ。とんとんとリズムよく背を叩いて子守唄を聞かせる。


「うっ、パパのばか」


「ごめんな。リリス……いい子だ」


 状況を察したオレリアが子守唄を引き継いでくれた。ハイエルフの親たちが子供を遠ざけ、里の中心である広場の物音が消えていく。静かな森の葉擦れの音に、オレリアの子守唄が重なる。徐々にリリスの瞼が落ちてきて、文句を言う可愛い赤い唇から寝息が漏れた。


 ほっとしたルシファーが縦抱きのリリスの背を叩く手を止めた時、足元に押さえつけられていた子供が叫ぶ。


「子持ちに、姉様はわたさなっ!」


 パチンと乾いた音がして、涙目のオレリアが少年の頬を平手で叩いていた。すっと大きく息を吸った彼女が怒りの声を上げる。


「なんでわからないの! 陛下は関係ないと言ったでしょうっ!!」


「オレリア、大声は」


 控えろと告げるはずの注意は遅かった。眠ったはずのリリスが大きく仰け反り、黒髪を振り乱して首を横に振る。落ちかけたリリスを抱き締めるが、また起こされたリリスの機嫌は地を這っていた。


「うわぁあああああ! やぁ! パパのばかぁ」


「またか……」


「も、申し訳ございません」


 慌てたオレリアがおろおろと立ち上がり、また子守唄を歌ってくれる。しかしリリスはもう眠る気が失せたらしく、泣きながら指を咥えて愚図りだした。いつもなら昼寝の時間なのだから、眠くなるのは当然だ。


 外見に釣られて内面も幼いリリスにとって、昼寝の邪魔をする者は悪そのものだった。涙を零しながら抗議するリリスの拳を受けながら、溜め息を吐く。そういえば、10年ほど前もリリスが寝なくて苦労したな……現実逃避ぎみにそんなことを思い出した。


「しかたない。最後の手段だ」


 結界で音を完全遮断して、魔法陣を浮かべた右手でリリスの目元を覆う。手のひら全体でリリスの視界を奪い、強制的に意識を眠りに落とした。


 最初からこうすればよかったのだが、魔法陣による眠りは深い。無理やり眠らせる方法に副作用がないとは言え、あまり好ましく思わないルシファーは滅多に使わなかった。


「ひとまず、誤解を解くところから始めよう」


 宣言したルシファーは、腕の中の愛し子の眦に残る涙を拭いながら付け足した。


「だが、リリスの昼寝が終わるまで待て」

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