536. 上司の休暇管理も忘れずに

 魔王が残した大量の書類に署名をする大公3人が溜め息をつく。ルシファーの署名1つで終わる書類も、彼らが対応するとなれば過半数以上を示す3人の署名が必要だった。


「結局、こうでもしないと休みませんからね」


「仕方ないでしょう。ああ見えて真面目です」


「ルシファーらしい」


 それぞれにぼやきながら、書き終えた書類を左側へ回した。無言で受け取ったベルゼビュートが印章を押す。以前ルシファーの膝でリリスが担っていた役目だが、かなり状況が違っていた。


「ねえ、外して欲しいの」


「駄目です」


 即答したアスタロトが眉をひそめる。びくりと肩を揺らしたベルゼビュートの足に、鎖が繋がっていた。鎖の先はテーブルに固定される形で、彼女の逃走を阻止する。


「……えっと、そう、化粧室に」


「ベルゼビュート、もう諦めなよ」


 ルキフェルに諭され、しょんぼりと肩を落とした。少し前も逃げようとして、ベールに殴られたばかりなのだ。女性相手でも一切手加減しないのは、この場にいる大公3人の共通点だった。手にした印章を朱肉に乗せて、渡された書類にペタンと押す。


「あのね……」


「いい加減になさい。ベルゼビュート、あなたは一番簡単な仕事でしょう」


 内容のチェックや署名に比べれば、署名が揃ったことを確かめて印を押すだけの彼女は、楽な部類に入る。字が汚いこともあるが、一番簡単な仕事を割り当てたのだから、大人しく印を押せと言い聞かせた。


「はい、ごめんなさい」


 ベールの殺気がこもった眼差しに、半泣きで詫びを入れる。諦めて書類に印を押し続けた。


 数百枚が終わった頃、ようやく書類の底が見えてくる。ほっとしたベルゼビュートの手から、印章が転げ落ちた。先ほど押した書類の上に転がり、朱色が散らばる。


「……ベルゼビュート?」


 アスタロトに名を呼ばれたベルゼビュートは、慌てて印を拾った。怯える眼差しに溜め息をつき、汚れた書類を受け取る。


 少しだけ魔力を込めて、書類の署名と朱肉をすべて消した。改竄を防ぐために朱肉や署名に使われるインクは、魔力で透明になるよう加工されている。そのため書き損じた書類は魔力を込めれば、書き直しが可能だった。


「休憩にしましょう。あなたも疲れたでしょう」


 この部屋に入ってから初めて優しくされ、こくんと素直に頷いた。慣れた様子でお茶の準備をするベールと、隣でお菓子を用意するルキフェル。手招きされてソファに移動する。鎖がぎりぎり届く位置に座り、出されたお茶に口をつけた。


「今回は陛下に休暇を取らせる計画ですから、しっかり手伝ってください。数週間で終わります」


「わかったわ。陛下のためですもの」


「明日は逃げないでくださいね」


 アスタロトに念を押され、しっかり頷いた。ベルゼビュートはいい加減な性格だが、約束したことは守る。長年の付き合いで、そこは疑わないベールが鎖を外してくれた。


「ところで、休暇なら陛下は喜んで出掛けると思うわ。なぜこんな形になさったの?」


「あなたは付き合いが長いのに、まだあの方を理解し切れていないのですか」


 呆れを滲ませる側近が、金の髪をかき上げながらヒントを提示した。


「リリス嬢が来てから、ルシファー様が休んだ日数は過去の半分以下なのですよ」


 ちょこちょこと仕事を誤魔化して出掛ける回数は増えたが、まとまった休日を取ることがなくなった。リリスと出掛けるために、徹夜で書類整理をする回数も多い。


 変なところで真面目なのだ。いっそ本当に仕事を放り出してしまう性格ならば、こんな回りくどい方法で休みを取らせなくても済んだ。リリスと遊んだ後、休んだ帳尻を合わせようと徹夜をされては、補佐役の側近として立場がなかった。


「……陛下らしいわね」


 休日を数えて管理するベールやアスタロトは、すぐにルシファーの異常な状態に気付いた。しかし成長したリリスが執務室の片隅で勉強するようになって、合わせて休みを取るルシファーの姿に安心したのだ。側近少女やリリスはきちんと休むため、つられて休日を設けていた。


 それなのに彼女が赤子に戻って成長し直した途端、また休日が減った。本人に話をしても「きちんと休んでいる。仕事の合間にリリスと遊んでいるから問題無い」と答えるに決まっている。


 執務室にわざと大量の書類を積み上げて、彼が根を上げるのを狙ったが、淡々と片付けられてしまった。しかたなく強引な方法で城から放り出したのだ。


 休暇なので、護衛も付き添わない。イポスやヤンも、休まないルシファーに付き合う形で休暇が減っていた。今回は長期休みを与えて、それぞれの実家に帰す予定だ。


「そういうわけですから、しばらく書類に印を押していただきます」


 締め括ったベールに、彼女はピンクの巻毛を指先で弄りながら「わかったわ」と答えるしかなかった。

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