402. ハエの処分は大切です

 かつて勇者の紋章を持っていたリリスの左手の甲は、今きれいな白い肌のままだ。赤子に還ったため、死んだと判断されて消えたのか。それとも別の理由があったのか。どちらにしろ判断する材料は手元になかった。


 門番に笑われた弓を諦め、自称勇者が改めて剣を握り直す。


「貴様ら、勇者を相手に失礼だぞ! 古の契約に従え」


 顔を真っ赤にした自称勇者の言い分に、後ろの騎士達も「そうだ」と声をあげた。仕方がないので向き直ったルシファーが口を開く。


「余が魔王だが……そなたの相手をする義務はない」


 偽者だと言外に匂わせたのだが、本人は理解しない。屁理屈をこねて魔王が戦いを避けていると騒ぎまくった。おかげで騒動を聞きつけた城下町の住人が、酒瓶片手に集まってくる。


 ちらりと視線を送ると、すぐにベルゼビュートが守りの結界を張った。以前に魔族へ向けて攻撃された経験を活かし、住民達が集まったら大公クラスの実力者が結界を担当する決まりが出来ている。


 議決の際「危険だから住民に集まるのを禁止しよう」と口にした者が誰もいないのは、まあ……実力主義を喧伝する魔族らしいエピソードだった。


「パパ、あの人真っ赤。暑いの?」


「うーん、興奮してるから、暑いのかも知れないな」


 否定も肯定もせず、リリスの感性を己の考え方に固定しないよう注意する。魔王の特徴である純白の髪を掴んだリリスは、ぎゅっと首に抱き着いた。


「パパ、がんばってね」


「頑張るから応援してくれ」


 いちゃいちゃするバカップル状態の2人に、人族の怒りが頂点に達した。


「バカにしてるのかっ!!」


 叫んだ自称勇者の剣士へ、ルシファーがひょいっと魔法陣で結界を張って見せた。魔力の少ない人族でも認識できるよう、ちょっとだけ水色にする。


「ロキちゃんの色だ!」


「なるほど、ルキフェルの髪色と同じか」


 共通点を見つけてはしゃぐ幼女に気づいた弓矢担当の本物勇者が口を開いた。


「……子供を連れての戦いは危険だ」


「気遣いに感謝するが、何も危険はないから平気だ」


「くそっ」


 吐き捨てた剣士が身長ほどもある大剣を振り上げる。勢いよく振り回す腕力は凄いが、結界に弾かれて飛ばされた。勇者が倒されたと慌てた騎士達が同様に飛び掛かり、後ろから火と水の大きな球が飛んでくる。魔術師達も総動員でかかってきた。


「パパ、すごいきらきらする」


 リリスが赤い瞳を見開いて、結界に手を伸ばす。触れると通過する可能性があるため、慌てて小さな手をルシファーが包み込んだ。


「触っちゃダメだぞ。リリスはオレの結界を通過できるんだから」


 記憶があるので納得したらしい。頷くリリスに頬ずりすると、アスタロトが城門の上から真後ろに転移した。


「陛下、口調が」


「ああ、悪い」


 リリス相手だとつい口調が普段の気安いものになってしまう。背筋を正して、芝の上で何度も結界に剣を突き立て、叩きつける人族に声をかけた。


「実力の差がわかったなら引くがよい。余の相手はだ」


 少し離れた場所で、自称勇者が放り出した弓矢を回収している青年に目を向ける。そこから目を離さないルシファーの姿に、剣士達が騒ぎ出した。


「アイツは荷物持ちだ」


「すごく弱いんだぞ」


 得意げに自分たちの実力の方が上だと声高らかに青年を罵るので、ルシファーはひとつ溜め息をついて事実を口にした。


「勇者の資格を持つのは彼だ。そなたらは相手にするレベルにない」


「陛下、蠅の処分は私が」


 任せるという場面だが、声に出すことに恐怖を覚える。にこにこと上機嫌のアスタロトの後ろに、黒い黒い影が透けている気がした。頷いたら、間違いなく惨劇が起きる。


「え……」


「任せてくださいますね?」


 念を押すアスタロトは一礼して「ありがとうございます」と自己完結した。どうやらルシファーの返事があったものとして扱うらしい。今さら止める必要もないので、肩を落とすルシファーの首に手を回したリリスが、無邪気に尋ねた。


「アシュタ! ハエはどうするの?」


「処分します。たかられると面倒です」


 門番達は状況を察して無言を貫き、イポスはあまり気にした様子がない。気が大きいというより、単に襲ってくる人族に好印象がないだけだろう。


「派手なのを頼むぜ!」


「久しぶりの勇者襲来だからな、楽しみだ」


 ダークプレイス住人達の声が漏れ聞こえて、満面の笑みでアスタロトが進み出る。


 勇者を騙った一行を主役とした赤い惨劇の始まりだった。

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