458. 数千年ぶりの八つ当たり
会議が終わるなり、すごい勢いで駆け出すベールを見送る。大きなため息をついたのは、ベルゼビュートとアスタロト、ほぼ同時だった。
「困ったわね」
「触れてはいけない場所に触れた自覚は、ないでしょうね。処分するなら私が担当しますよ」
ルキフェルの管轄下だろうと譲らない。
アスタロトは笑顔で言い切るが、近くで見てしまった貴族は震え上がった。いっそ無表情の方が怖くなかったと噂しながら、こっそり逃げるように帰っていく。
「アスタロト大公閣下」
そんな貴族の間を逆に歩いて、ドラゴニア侯爵エドモンドが近づいた。厳しい顔でアスタロトの前に膝をつく。項垂れて声掛りを待つ竜族の重鎮に負け、アスタロトは許可を出した。
「構いません。どうしました?」
「魔王陛下は……いえ、私如きが心配するのは僭越ですが、その」
心配なのだろう。表情を凍らせたルシファーの姿を過去に知っているだけに、どうしても何か言わずに居られなかったらしい。
「ありがとうございます。ですが、リリス姫がご一緒です。今頃はお茶でも楽しんでいるかも知れませんよ」
穏やかな声で、安心させる言葉を紡ぐ。
「そうね、リリス様がご一緒ですもの。心配はいらないわ」
ベルゼビュートが同調したことで、暗い顔をしていたエドモンドがほっと安堵の息をついた。
「そうですな。失礼を申しました。お忘れください」
他の貴族の後を追う形で、彼も謁見の広間から退出した。すでに魔物達も動き出している。
「どうするの?」
「今は放っておきます。八つ当たりされるだけですからね」
肩を竦めたアスタロトは、すでに手元に転移魔法陣を作り出していた。その行き先を読み解いたベルゼビュートが「帰るの?」と尋ねる。アスタロト領にある魔の森が唯一木を生やさない土地は、以前に勇者を騙った者やワイバーンを処理した広場だった。
「ええ、あの場に獲物を放ちましたから」
どうやら彼が処分する予定だった貴族達は、あの森に置き去りにしたらしい。広場から遠くへ移動できないが、多少は逃げただろうか。それを狩りさながらに追いかけるつもりなのだ。
「面倒なことするのね」
「狩りは貴族の嗜みですよ」
「あたくしはミヒャール国の方へ向かうけど、どこまで壊してもいいのかしら」
「人族の処分は構わないですが、都自体は残してください。あとで陛下の八つ当たりの対象として使いますから」
「ガブリエラ国も?」
「ええ」
側近達の恐怖の会話はすぐに終わり、「残念だわ、あたくしが壊したかったのに」とぼやきながら部屋を出て行く。魔獣やドラゴンが先に人族の領域へ向かったので、後を追うために中庭から転移するつもりだろう。
誰もいなくなった大広間を見回し、アスタロトは手元の魔法陣を消した。視線を玉座に据えて、少し考え込んだあと足早に歩き出す。足を向けた先は、転移ができる中庭ではなく、上階へ続く階段だった。
豪華な絨毯敷きの廊下を歩き、最上階の扉の前で立ち止まった。分厚い扉に刻まれた紋様が、音や衝撃を遮る。そのため中の
ひとつ深呼吸して、ノックする。
「ルシファー様、入ります」
許しを得るより先に扉を開けば、クッションが飛んできた。続いて食器、机の上のペンやインク瓶まで凶器となって襲い掛かる。それらすべてを結界で弾き、浮遊魔法陣で受け止めていく。
「入るな!」
「リリス嬢はどうなさいました?」
「うるさいっ!」
ぶわっと純白の髪が舞い上がる。感情につられて制御しきれなくなった魔力が溢れていた。それらが陽炎のごとく立ちのぼり、生き物のように長い髪を踊らせた。
「アシュタ、パパは怒ってるの。すこし待ってて」
達観した言い方をするリリスが、お気に入りのお人形を抱っこしてソファに座っている。さすがに抱っこした状態で魔力を振るうほど我を失っていなかったことに、アスタロトは安堵した。
最悪の事態を想定して動くことが当たり前になったアスタロトの懸念は、杞憂で済んだらしい。万が一にでもルシファーの暴走した魔力が、リリスを傷つけたらと考えたのだ。
リリスは鼻歌を歌いながら気にした様子はみせず、ルシファーは物に八つ当たりすることで気を沈めるつもりのようだ。周囲に当たらないのは立派だが、このまま放置すると時間がかかりそうだった。
「ルシファー様、怒りの発散は人族の都で行ってください」
じろりと睨んだルシファーだが、ある程度暴れて落ち着いたのか。長い髪をばさりとかき上げ、ひとつ溜め息をついた。
「わかった」
「終わったぁ? パパ、抱っこ」
恐がる様子もみせず抱っこを強請る幼女に、ようやくルシファーの顔に笑みが戻った。
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