588. 特別扱いはいらない
異世界で変貌した亀は死に、その魔力は魔の森へと変換された。流出した魔力に晒された
失われた魔力はほぼすべて回収されるのだ。今回返したオルトロスは、この世界の魔力を保有していなかった。影響下にない別世界の魔力を取り込むことを、魔の森は良しとしない。すべては世界の
「私は魔の森の番人であり、森を守る魔王を抱き締め返すための腕なの」
言いたいことは終わったとばかり、リリスは小さく欠伸をした。こてりと首を傾けて、ルシファーの胸に頭を預ける。目を閉じてしまったリリスへ、アスタロトが質問をひとつ。
「あなたは、ルシファー様の妻となるために生まれたのですか?」
「少し違うかしら。私はルシファーの心を守るための鍵なのよ。だから私を妻に望んだのは、ルシファー自身であり、応えたのは私自身だわ」
ルシファーのために生まれたのは間違いない。だが目的が違うのだと言い切り、リリスは目を開いた。視線を合わせた少女は、大人びた顔で唇を指で押さえる。
「魔の森が急成長して人族の領域を侵したのは、彼らが魔族の多様性を尊重しないからよ。森の目的が魔力だけなら、魔族から吸収した方が効率がいいもの」
人族の魔力を数百人集めても、ドラゴン1匹に及ばない。手っ取り早く魔力を戻したいならば、魔力量の多い種族を滅ぼす方が簡単だった。
「でも、魔の森は魔族を殺さなかった」
ルキフェルが思案しながら、メモを眺める。
「ええ。人族の魔法陣も邪魔だし、彼らの増長ぶりも鼻についたから。許せる範囲を超えてしまったわ」
生きたまま皮を剥いだり、奴隷として魔獣や獣人を虐げたり、薬をとる為に動けず抵抗できないアルラウネや意志ある植物を殺した。この世界の秩序である魔の森を切り拓き、大地を固めて苦しめ、森を庇護する魔王に逆らう。人族の身勝手さは限度を超え、ついに見捨てられたのだ。
想像を絶する話だったが、筋は通っていた。数万年にわたって保たれてきた均衡が、ここ数十年で崩れ始める。その原因が魔の森の意志だったとしたら……誰も止められない。たとえ魔王ルシファーであっても。
「魔の森の分身であると、いつから自覚があったのですか?」
アスタロトの疑問は当然だ。赤子の頃からか、今の姿になったからか。
「自覚はタブリス国に攻め込むまで、まったくなかったわ。ただ、なんとなく知っていたの。魔の森はルシファーを好きで、私を助けてくれると」
じっと話を聞いていたルシファーは、膝の上のリリスを抱きしめる腕に力を込めた。黒髪にキスを降らせ、愛しい少女の気を引く。誘われるように視線を合わせたリリスの目蓋にもキスをして、赤い瞳を閉じさせた。
「リリスがオレの側にいてくれる、それが真実ならいい」
正体が何であっても、どんな事情があろうと、寿命が尽きるまで一緒にいられるなら……不安そうなルシファーの響きに、リリスは手を伸ばした。整った顔に手を滑らせ、頬を包むようにして微笑む。赤い瞳がまっすぐに、銀瞳を捉えた。
「ずっと一緒よ。ルシファーが私をいらないと言うまで、離れない」
「絶対に言わない」
ぎゅっと抱き締められ、リリスはルシファーの頭を抱えるように抱き締め返した。幸せな光景に、アスタロト達は理解する。
理屈ではないのだ。
こうして抱き締め返すために、魔の森はリリスを生み出した。愛された分を返すのに必要な腕と、隣に立つために必要な足、それでいてルシファーの魔王の地位を脅かさない存在として。
「これは文献に残しても平気?」
魔王史や魔の森に関する書物へ、新たに判明した事実として記録し、後世へ残しても構わない話か。魔の森を尊重する魔族なら、当然の質問だった。敬愛する森の真実を残したいが、森がそれを厭うなら自分たちの記憶だけに留める。
ルキフェルの声に、リリスは振り向かなかった。ルシファーと視線を合わせて微笑んだまま、言葉だけを返す。
「構わないわ。私が話す内容は、森が望んだことだもの」
「ありがとう」
メモした紙を丁寧に纏めながら、ルキフェルが礼を口にした。その隣で、ベールが複雑そうに呟く。
「今後のリリス姫への対応を、考えなければなりませんね」
「なんで? 今まで通りでいいじゃない」
ベルゼビュートは紅を引き直しながら、肩を竦めた。精霊である彼女には、魔の森はもっとも身近な隣人なのだ。
「態度を変えて欲しければ、リリスちゃん自身がそう言うわ」
「直感で生きるあなたはそれでいいでしょうが、問題だらけです」
呆れたと溜め息を吐くアスタロトへ、リリスは笑って結論を突きつけた。
「私は私、今までと同じよ。生まれてまだ14年の子供で、この身体は12歳……たくさん学んでルシファーを愛して生きていくの」
特別扱いはいらない。
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