589. 一問終わるとまた一戦

 最愛の存在が、魔の森の分身だった。他の者が口にしたなら、ルシファーも容易に信じない荒唐無稽こうとうむけいな話だ。しかしリリスの告げた話は、合理的に考えても納得がいく内容だった。


 玉座でリリスを抱いて動かないルシファーをよそに、アスタロトは過去の記憶を辿った。誰にも気づかれず魔王城の入り口に捨てられた赤子――ルシファーが散歩から戻り、城門前を通る時間に合わせたように現れた事実。拾い物が好きなルシファーの性格を読み、好まれる子供を置いた。


 魔の森の意志ならば、城門前に突然現れたのも頷ける。見張る門番に過失はなく、瞬きの間に出現したのだろう。そして思惑通りルシファーの腕の中に収まった赤子は、会話の遅れが見られた。強力な魔族の子ならば当然と思われた症状だが、人族の砦を攻めた一夜で急に言葉を操り始める。あれも、魔の森の魔力が豊かな領域に彼女が戻された影響かも知れない。


 考えてみれば、リリスが何か行動を起こしたり急成長するタイミングで、魔の森は何らかの干渉を行ってきたのだろう。分身であり、我が子であるリリスを育てながら、ルシファーの心も守ろうとした。


 数万年もの長い間、ルシファーは孤独だった。妻も子も得ず、ただ穏やかに魔の森と魔族を守り続ける。強大過ぎる魔力を宿しながら、圧倒的弱者を庇護する生活は……彼の心をすこしずつ壊していたのかも知れない。


 ルキフェルはまだ若いが、他の大公3人は同じ寿命を生きてきた。だから気づけるのだ。アスタロトは数十年に一度の眠りを、幻獣であるベールも数百年で再生を行う。感情を切り離す術を持つベルゼビュートも同様だった。何らかの方法で己に掛かる負荷を消す彼らと違い、ルシファーはひたすらに長い月日を受け流す。


 数代前の勇者を倒した後の50年近い眠りは、彼の限界を示していたのだろう。魔王の限界を感じた魔の森は、ルシファーの心を守るためにリリスを作り出したとしたら……。


「ルシファー様の隣に貴女がいてくれて、本当に良かった。今はそう思います」


 感情豊かに振る舞っていたルシファーだが、過去の振る舞いと今の彼は明らかに違う。口調や表情、なにより穏やかな笑みが増えた。アスタロトの呟きに、リリスは小さく頷く。強く抱きしめて離さないルシファーの腕で眠るように目を閉じたまま。


 穏やかな空気が漂う謁見の間に、コボルトのベリアルが飛び込んだ。


「……大変です!! 勇者が来ました!」


「またですか」


「偽者でしょう」


 アスタロトとベールが溜め息をつく。書類を纏めるルキフェルは集中しているため無言で、ベルゼビュートは好戦的な笑みを浮かべた。


「即位記念祭の前に来てくれて、良かったじゃない」


 前回のように人族の妨害が入るとしても、即位記念祭に勇者が押し掛けると騒動が大きくなる。ほぼすべての魔族が集まる状況で、勇者と対峙するルシファーは手加減を余儀なくされてきた。民を守る結界を張る大公も苦労を強いられる。そう考えると事前に勇者を片づけるチャンスだった。


「ベルゼビュートの言う通りかもしれませんね」


「本物か、確認だけしましょう」


 黙って聞いていたルシファーが身じろぎして、大公が一斉に礼をる。


「仕方ない、面倒だが出向くか」


 リリスを下ろしてエスコートの手を差し出した魔王は、いつもの不敵な笑みを浮かべる。さらりと背を滑る純白の髪が、黒いローブの上で輝いた。白い手を重ねたリリスが頷くと、彼と彼女は歩き出す。その後ろを追いながら、アスタロトが疑問を口にした。


「ところで、彼らはどうやって魔の森を越えたのでしょう」


 ミヒャール国、ガブリエラ国、タブリス国――人族の勢力はほぼ壊滅状態のはずだ。勇者が見つかったとして、送り込むための準備や兵力をすぐに整えられるわけがない。眉をひそめたアスタロトの言葉は、不吉さを纏って広間に響いた。

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