39. お迎えに行ったらボロボロでした

「リリス、パパですよ~!」


 全力で玄関に飛び込むと、子供の数は朝の半分ほどだった。すでに親が迎えに来た家庭も多いのだろう。


 リリスは奥で人形の腕を……もいでいる。あれ? こんなに凶悪な光景が保育園で繰り広げられる原因は? 首をかしげる。ルシファーが与えた人形に、そんな乱暴なことをする姿は見たことがなかった。


「どうしたんだ、リリス?」


 すぐに駆け寄ってきてくれると思ったのに、拗ねたように俯いたまま人形の手を引っ張る。よく見ればドレスのリボンはぐしゃぐしゃに解けたり千切れているし、黒髪も乱れていた。頭につけた魔法陣つきリボンは無事だが、逆に悪い意味で目立っている。


 魔王の全力にちょっと置いていかれたベールはやっと追いつき、無傷のルキフェルと手を繋いだ。


「……ちょっとよろしいですか?」


 新人ユニコーンではなく、ベテラン保育士ドライアドに手招きされて、ルシファーは素直についていく。子供であるリリスに聞かせないよう気遣っているのだろう。


「リリスちゃんですが、今までどういった教育や躾をされていましたか?」


 質問の意図がわからず見つめ返すと、溜め息をついたドライアドが言葉を選んで説明を始めた。名札には大きく『ミュルミュール』と書かれている。どうやら名前らしいが、呼びづらそうだ。


「今朝、よそのお子さんとお人形の取り合いになりまして、いきなり噛み付きました。リリスちゃんは言葉があまり上手ではありません。言い負かされて実力行使に出たのだと思います。先にお人形遊びをしていた子から奪おうとしました」


 言外に先に手を出した『悪い子』がリリスだと聞かされ、ルシファーは絶句した。自分が抱いているときは大人しいのに……そう思っているのが本人だけとは知らず、咄嗟に反論が出る。


「普段はそんなことは……」


「お城では1人でしょう? 他の子と遊ぶルールも、譲ることも知りませんでした。駄々を捏ねたら好きにさせてきたのではありませんか?」


「えっと……」


 心当たりがありすぎて言葉に詰まる。そこでベールが保育園を作った真意に気付いた。リリスは事実上1人っ子で、好き勝手が許されている。このままの状態が続くと、今回のように他人と諍いばかり起こすだろう。


「すみません。オレがちゃんと教えなかった」


 まずは自分が謝罪して反省し、リリスにもきちんと教えて導かなくてはならない。育児書に書かれていた「甘やかしすぎない」の文字が、ようやく実感となって沁みた。可愛いからと甘やかすペットのような扱いでは、他人と適切な関係が作れない子になってしまう。


 外見が可愛くて甘やかされるのは子供のうちだけ。逆にその時期を過ぎれば、我が侭なだけの厄介な子は排除の対象となってしまう。リリスをそんな目にあわせたくないと強く思った。


「きちんと叱ってあげられますか?」


「はい」


「怒ってはいけませんよ」


 魔王相手に懇々と説明を続けるミュルミュールは、本当に良い保育士だった。子供の将来を考えるからこそ、リリスの保護者が権力者であろうと言うべきことは言う。ルシファーも本来は良い君主であり、他人の言葉に耳を傾けてきた。リリスのことになると多少我を失う傾向が強くなるが、暴君ではない。


「気をつけます」


「怒ると叱るの違いを言葉にしてください」


 最終確認として告げられた言葉に、ルシファーは深呼吸してから答えた。


「怒るのはただの感情任せ、叱るのは導くための指導だ」


 かつてアスタロトに諭された内容を覚えている。部下を叱責した際、それはただの八つ当たりだと指摘された。あの時の感情は今も忘れていない。リリスに対して同じように、叱らなければならないのだ。たとえ一時的に彼女に嫌われたとしても。


「はい、満点の答えです。ではリリスちゃんはご機嫌斜めのままお返ししますね」


「へ?」


 機嫌をとるところから任せると言われ、ルシファーは重過ぎる宿題に項垂れた。

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