178. 魔王が勇者に感動するのはいかがかと

 劇はクライマックスを迎えようとしていた。魔王と勇者の一騎打ちだ。もっとも盛り上がる見せ場を前に、観客は釘付けだった。


「人族の女よ、我が前に散れ」


「貴様の悪事もここまでだ! 我が剣の錆びにしてくれるわ」


 右手の剣で切りつける。袈裟懸けの動きに対し、結界を作る形に手を出したターニア公爵子息ブエルが防いでみせた。だが結界は砕け、ブエルが右腕を押さえる。きちんと結界を視覚化して砕けた様子まで再現しているのは、後ろで観衆の魔族役をしている友人達だった。


 水の妖精ウンディーネのルーシアが作った水膜に、光と風を当てたアリッサの魔力が弾ける。素晴らしい演出に拍手が起きた。


「……右手にケガしたっけ?」


「結界を3枚しか張らず、2枚砕けたのは覚えていますわ」


「手抜きでしたね。侮った結果のケガでした」


 自分のことだが記憶が曖昧なルシファーが呟くと、ベルゼビュートもアスタロトも淡々と返してくる。容赦なく事実を突きつける側近達だが、劇の邪魔にならぬよう声をひそめていた。


「我が正義の前に敵なしっ!」


 リリスが剣を天にあげ、大声を張り上げる。男装の令嬢状態になっていることもあり、凛々しい彼女の姿は新たな拍手を招いた。


「うん、やっぱリリスは可愛い。凛々しい」


 ぐっと拳を握って力説するルシファーに、足元でお座りしたヤンは複雑そうな顔で尻尾を振った。


「この劇で、魔王が勇者に感動するのはいかがかと……」


「何を言うか。常に正義はリリスだ!!」


 とんでもない発言をしたルシファーは、うっとりと両手を顔の前で組んだ。


「あんな勇者ならやられたい」


「……落ち着いてください」


 アスタロトがさすがに止めに入った。上位貴族が多く集まったこの場で、これ以上崩れていく魔王の姿は今後の政治に影響する。


「魔王、しねっ!!」


 リリスが剣の張りぼてを、ブエルの腕の隙間に差し込む。かなり練習したのだろう。動きはスムーズだった。ステージ右側を見ているブエル少年が左脇で剣を挟むと、確かに胸に刺さったように見えた。


「うっ」


 なぜか見えない言葉の刃『しね』がルシファーに突き刺さっているらしい。胸元を押さえて苦しそうな顔をしている。呆れ顔のベールがルキフェルへ「こんな大人になっちゃだめですよ」と反面教師気味に指差した。


死神の鎌デスサイズよ、我が手に! 目の前の敵を退けたまえ」


 ドワーフお得意の仕掛けで、手に握った小さな棒が膨らんだ。質量の法則を無視したように見えるが、実は圧縮した風船状態の幻影が映し出された形だ。解放された幻影は大きく、ブエル少年が棒を傾けるとリリスが崩れるようにすわり、ゆっくりと倒れた。


「リリスッ!!」


 劇だと忘れて立ち上がったルシファーの足を払って転ばせたベール、さっと猿轡さるぐつわを噛ませるアスタロト。2人の連携に気付いて前足で暴れる魔王を押さえるヤンと、結界を張って外へ声が漏れないようルキフェルが対策した。ベルゼビュートがそっと彼らの上に布を被せて目立たないよう隠す。


 おかげで周囲は魔王の声に振り向くも、状況がわからぬまま再び劇へ視線を戻した。


「大人しくしないと転移させますよ」


 言い聞かされたルシファーは不満ながらも、猿轡を外しながら観劇を続ける。崩れた女勇者リリスを、ブエル少年が抱き起こした。己の胸に刺さった設定の剣を抜いて放り出す。リリスは、エルフが用意した木の実の血糊で濡れた口元で笑った。


「負けた……が、一矢いっしむくいたぞ」


「人族の勇者であるそなたに敬意を表し、ひとつ願いを叶えよう」


「人族が……生きる土地を……」


 そこでリリスが声を止め、がくんと力を抜いた。死んだ設定なのだろうが、ルシファーがまた暴れ出してベールに拘束される。


「ローゼリッタ、そなたの願いは我が名にかけて叶える」


 リリスを置いたブエル少年が断言したところで終劇だった。緞帳の幕が下りると、ばたばたと走り回る音が聞こえる。次に幕が開いたとき、子供達は劇の格好のままで並んでいた。


 一礼して拍手を受ける園児達を、貴族達も立ち上がって拍手で讃える。やっと解放された魔王ルシファーも、大公達も何もなかったように笑顔で拍手した。


 両手を友達と繋いでいるリリスが、そっと左手を離して手を振る。凄い勢いで振り返すルシファーが、ふと足元の熱に気付いた。焦げ臭い上に何か温かい。


 ぱちぱちっ……拍手の音に混じる、何かが爆ぜる音。


「燃えて……ないか?」

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