1016. 母なる森へと還る

 赤子に戻ったレラジェを抱いたベルゼビュートが、崩れる神龍の身体に手を押し当てた。寄り添う精霊達が気遣うように飛び回る。


「神龍モレクの魂と魔力は、母なる森へ還るわ。次は私の配下に生まれなさいね、ゆっくりできるから」


 種族を率いる責任ある立場ではなく、気楽に舞いながら生きて死ねる精霊に。そう呟いて目を細めた。幼い頃のモレクは、ベルゼビュートによく懐いた。あっという間に大人になり、青年期を過ぎて老年に差し掛かり……それでも彼女にとって子供も同然のヒヨッコだ。


 別れを告げたベルゼビュートの言葉を聞き届けたのか。魔の森がモレクの遺体を飲み込んで、森は一気に海辺近くまで支配域を広げた。


「魔族の死に方として、申し分ありません。見事でした、生まれ変わるまでしっかり休みなさい」


 魔王軍の部隊を率いる将軍を務めたこともある男を見送り、ベールは手を繋いだルキフェルと鱗に触れる。魔族にとって魔の森や魔王の役に立って死ねるのは最高とされてきた。寿命が尽きて死ぬのは、それに次ぐ幸せな往生である。若者を守って死ぬなど、彼らしい。


 微笑んだ2人の隣で、リリスは頬に流れる涙を隠さなかった。穏やかに目を閉じたモレクの瞼を撫でながら、ルシファーは何も言わない。その気持ちを察したリリスも声を出さずに寄り添った。ルシファーがハンカチを差し出し、リリスは受け取って頬に当てる。


「私達では足りなかったのでしょうか」


 人族との戦いで犠牲を出した同族の報告を聞いたアスタロトは、横たわるモレクの巨体を見上げた。最高齢の龍として一族を率いた男に黙礼した後、呟いた言葉に滲んだ後悔は苦い。


 魔の森が必要とする魔力は、レラジェが解放した。その不足分を魔王と大公達、そしてリリスが補ったはずだ。にもかかわらず、死したモレクをいち早く取り込んだ魔の森の行動は、まるで魔力が足りなくて暴走したように見えた。


「たぶん……モレクを迎えに来たの」


 リリスがぽつりと返した。それが森の意思と一致するかと問われたら、彼女も確証はない。それでもモレクは望まれたのだ。母に呼ばれたのよ、そう告げたリリスの頬は、新たな涙に濡れていた。


「モレクの遺体は森に預けよう」


 根が絡み、しっかりと大地に縛り付けられた身体を引きはがすのは無理だ。それ以前に、森が望むことを魔族が拒むことはない。モレク自身も母なる森に抱かれて眠るなら、それは本望だろう。豊かな魔の森の一部として己の身を提供するのは、魔族として望ましい死に方だった。


「大往生でしたね……」


 羨ましいと滲ませた側近の声に、ルシファーは肩を竦めた。それからリリスの肩を抱いて泣き顔を隠しながら、穏やかにアスタロトへ言い聞かせる。


「どれほど羨んでも、アスタロトを死なせてやる気はないぞ。オレの分も書類を処理してもらわないとな」


「やれやれ、とんでもない方を主君を仰いだものです」


 そこでこの話は終わり。騒動を聞きつけて駆け付けた神龍族に長の変更を申し付け、彼の功績を讃えて先に帰らせた。涙を零して離れない数匹の龍は若く、彼らはまだ親しい者の死を体験していなかったのだろう。存分に泣いて、命の大切さを学ぶ機会だった。


 魔王や魔王妃、大公まで勢ぞろいで見送られる死など滅多にない。人族とともに幕を下ろした彼の長き命を思い、誰もが言葉を飲み込んだ。


 ざわり、森はその身を揺らす。龍の上に大木を茂らせ、魔の森はあっという間に人族の痕跡をすべて飲んだ。回収され補充された魔力が緑を濃くし、生命力をあふれさせる。色鮮やかな森は、悲しみを新たな命の誕生へと昇華させた。

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