1135. あの人の妻としての意地よ

「だめぇ!!」


 飛び込んだ青い鳥がぐわっと炎を吐き出す。戦う2人の間で羽を広げたのは、ピヨだった。番であるアラエルの仕事場の城門へ戻った途端、感じた魔力に駆けつけたのだ。


 炎を吹き飛ばす勢いで振り抜かれた尻尾は、しかしピヨにもアデーレにも当たらなかった。ふわりと舞い降りた鳳凰アラエルが怒りに目を見開く。彼は身を挺して番の鸞を守ったのだ。巨体を高温の炎で包み、ピヨを庇う形で立ちはだかった。


「我が番に何をするか!」


 放たれた強烈な炎は、神龍の尻尾を舐めるように這った。生き物さながらの動きで絡みつき、体内の熱を上昇させていく。堪らずのたうつリザベルを、アラエルの鋭い爪が押さえつけた。孔雀と似た性質を持つ鳳凰はその爪に毒を持つ。強く掴んで食い込ませた獲物が、巨体をくねらせてアラエルに巻きついた。


 蛇のような動きでアラエルを締めるリザベルは、獣のような唸り声を上げた。彼女の胴体をピヨが攻撃している。鋭い嘴で啄み、肉や鱗を千切っては捨てた。小さな攻撃だが、確実に激痛とダメージを蓄積させる。


「助かった、わ」


 お礼を口にしながら、よろめく足に力を込めたアデーレが右手首を牙で食い破る。流れ出した血を指先へ集め、凝らせた。アスタロトが手にする虹色の剣を見て覚えた魔術のひとつだ。


「アスタロト大公夫人としての意地よ」


 傷ついた身で、これ以上の出血は危険だ。分かっていても退けない戦いはある。一瞬だけ目を閉じて思い浮かべた人に、心の中で謝った。きゅっと唇を引き結び、アデーレが剣を振り上げる。


「ピヨ、アラエル、避けてっ!」


 全身の力を込めて振り下ろした。だが振り抜く前に、甲高い金属音で弾かれる。目を見開いた彼女の前に、見慣れた青年がいた。


「あ……」


 あなたと呼びそうになって、声を喉に詰まらせる。感情が混じって溢れ出し、何を言えばいいか分からなくなった。アデーレの刃を血に戻したアスタロトは、金髪をかき上げて苦笑する。


「待たせました。次は声に出して私を呼びなさい」


 膝から崩れ落ちた妻を抱き上げ、壁際に横たわらせる。慌てて手当てに走るベリアルに任せ、魔力を凝らせた虹色の刃をすらりと抜いた。魔王が褒めたことでアスタロトの武器の代名詞となった剣だ。圧倒的な魔力と実力を見せつけるように、アスタロトは口角を持ち上げて笑った。


「愚かな娘だ。妻に手を上げるとは……楽に死ねると思うなよ」


 低くなった声が紡ぐ響きに、アラエルは大急ぎでピヨを咥えて舞い上がった。これは近くにいたら巻き添えを食らう。その判断は正しかった。


「ぐぁああああ!」


 牙を剥いて攻撃を仕掛ける神龍を、アスタロトは剣を立てて受けた。シャンと軽やかな音を立てた刃は、硬い鱗を切り裂いて神龍の胴体を切り裂く。皮を削ぐように走った剣を手で返し、外へ切り捨てる。落ちた皮膚と鱗があった胴体が、ぶわりと赤い血を滴らせた。


 満身創痍のリザベルだが、退く気はない。一矢報いるつもりなのか、血に怒り狂ったか。ぼたぼたと血を垂らしながらアスタロトに飛びかかった。角、短い前足、尻尾……通り過ぎるアスタロトの痕跡を残すように、神龍の胴体が裂けていく。だが致命傷はなかった。簡単には殺さない、言葉にした通りだろう。


 真っ赤に染まった中庭は、困惑した様子のエルフやドワーフが遠巻きにしている。だがそれぞれに結界を張り、十分に距離を置いていた。見物というより、何が起きたか確かめずにいられなかったのだ。アスタロトは血塗れの赤い手で髪をかき上げる。べっとりと赤がついた金髪は、彼の白い肌を汚して揺れた。


 唸って噛み付くリザベルを左腕で受け止めた。その牙が刺さった先で、口の中が凍りついていく。慌てて牙を抜いたリザベルだが、その体内に流れ込んだアスタロトの血は、触れた部位を壊死させた。


「まずは妻の痛み……我が主君に対する不忠、魔王城襲撃の詫び、俺の手を煩わせた罪。最期まで足掻いて死ね」


 吐き捨てられた冷たい言葉は、物理的な冷気を漂わせて中庭を支配した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る