1134. まったく理解できないわね
地下牢の鍵は、魔王城の執務室の一角に保管される。それは罪人奪還で、牢番を殺された苦い経験から来ていた。魔王史12巻の中ほどに記載された文面を読んでいれば、簡単に理解できる。そこに記された事件は、まだ魔王の治世が安定していなかった頃の苦労を含んでいた。
魔王に従わず、大公へ攻撃を仕掛けた巨人族の貴族令息が捕まった。それを解放しようと手下となる一族の若者が集い、魔王城の城門を襲撃したのだ。間が悪いことに魔王城に重鎮は誰もいなかった。
巨人族の騒動を収めるため出向いた魔王にはベールが付き従い、アスタロトは別の事件の仲裁に出向く。城に残ったベルゼビュートを誘い出すため、魔獣への襲撃という囮作戦が用いられた。
全員が城を空けた状態で、巨人達は城門を砕いた。地下に囚われた罪人を引っ張り出し、止めようとした牢番のリザードマンが殺される。騒動に気づいて戻ったルシファーが見たのは、無残に引き裂かれた牢番の姿だった。血塗れで息絶えた彼は、それでも鍵を守ろうと飲み込んだらしい。鍵を取り出すために裂かれた男に、魔王は詫びるしかなかった。
怒り心頭の魔王と大公により、巨人族は壊滅寸前まで追い詰められ、最終的に服従を誓うことになる。この騒動で死んだ者は牢番を除けば、すべて巨人族だった。ベールは容赦なく罪人を叩き潰した。一族の者を少しでも守ろうとした長はアスタロトに切られ、抵抗した若者もベルゼビュートにより粛清される。苦い歴史のひとつだった。
それ以降、鍵は魔王や大公が結界を張る執務室で保管されてきた。魔族の、それも貴族令嬢となれば知っていて当然の知識だ。愚かな娘を嘲笑うようにアデーレは言葉を紡ぐ。
「忘れるところだったわ。罪人はいま、漆黒城の地下牢でここにはいないの」
くすりと笑ったアデーレは、目を見開いた愚かな神龍の娘を捕縛するために両手を広げる。高めた魔力に誘われて、眷属が集まっていた。コウモリ達は鋭い牙と爪で攻撃を仕掛ける。殺さずにじわじわと吸血しながら獲物を甚振るのだ。
崩れるように膝をついたリザベルへ近づいたアデーレは、急いで飛び退った。しかし後ろにいるベリアルを思い出し、ぐっと足に力を込める。全身のバネを使って捨て身の攻撃に出たリザベルの爪が、アデーレの腕に食い込む。咄嗟にかざした右腕から、赤い血がぽたりと滴った。
「ベリアル、下がって」
「お前なんかにっ! あたしの気持ちがわかるかぁああああ!!」
膨らんでいく魔力と叫び声はリンクし、さらに興奮するリザベルが魔力を叩きつけた。集まったコウモリが一斉に地面に落ちる。ばっと炎が上がり、コウモリの体が中から燃え始めた。
「なんてことを……」
吸われた血を操り発火させたのだろう。苦しそうに鳴くコウモリを、アデーレは見捨てられなかった。苦しむ眷属を包む形で巨大な魔法陣を出現させる。ここが中庭の一部でよかった。アデーレは自嘲しながら魔力を広げていく。コウモリの体内にある神龍の血を、己の中に転送させた。
「うっ」
悲鳴を押し殺す。荒れ狂う血を収めなければ……膝を突く無様は許されない。私は大公アスタロトの妻よ! 誇り高く強くあろうとする魔王陛下の臣であり、魔王妃殿下の側近たる資格を持つ。その私が膝を突くことは陛下や殿下への反逆に等しい。
堪えたアデーレが、冷や汗の滲んだ顔で笑みを浮かべた。
「勘違いして魔王城を襲った気持ちなんて、理解できないわね」
言い放ったアデーレに向けて、神龍の尻尾が襲う。龍となったリザベルは、神龍の中では小ぶりな部類に入る。だが、一般的に見ればヤンに匹敵するサイズを誇った。その尻尾が全力で叩きつけられれば、アデーレの細い体は持ちこたえられない。
結界を二重に展開しながら、アデーレは自覚していた。展開した魔法陣に魔力を使いすぎて、今の自分では攻撃を防ぎきれないことを。
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