82章 受け継ぐ遺志を砕くもの
1133. 吸血鬼王の妻という肩書き
「誰もいないの? なんてこと」
絶句したアデーレだが、大きく深呼吸した。取り乱している時間はない。夫は魔王の共をして城を空けたのだから、ここは残った者でこの場を守るべきでしょう。大公夫人という肩書きを最大に生かすため、ぱちんと指を鳴らして侍女服をドレスに替えた。
「私が応対いたします。あとは頼みますよ」
他の侍女や侍従に声を掛け、中庭から城内へ足を踏み入れようとする貴族に対峙した。穏やかに笑みを浮かべて、入り口をさりげなく塞ぐ。城主も代理もいない今、勝手な振る舞いを許してはならない。たとえ相手の力が強大であろうと、退く選択肢はなかった。
「御用をお伺いいたしますわ」
「侍女長に用はないわ」
切り捨てる言葉を吐いたのは、鱗が全身を覆う神龍の貴族令嬢だ。神龍と銀狼の間に生まれ、神龍の血を色濃く受け継いだ彼女は、先日亡くなったモレクの遠縁に当たる子爵令嬢だった。
アデーレはふっと口元を緩めて笑い、傲慢に顎を反らした。子爵令嬢である彼女が何を求めていたとしても、大公夫人であるアデーレが退く理由はない。侍女長であっても、城の留守を預かるなら同様だった。
「どこの小娘が私に口を利くのでしょうね。吸血鬼王アスタロト大公夫人ですよ。下がりなさい」
普段は使わない命令口調は、板についていた。元が伯爵令嬢として育てられたアデーレは、貴族社会の上下関係が身に付いている。魔族は人族ほど階級に拘らないが、貴族同士の衝突となれば肩書きはそれなりの価値を持つ。ましてや魔王城の留守を預かる立場となれば、なおさらだった。城に関する魔王の代理権を盾に、アデーレは右手を前に突き出す。
「私は城を預かる身、あなたが強引に通ろうとするなら排除する権利と義務がありますわ」
一瞬悔しそうに唇を噛むが、子爵令嬢リザベルは焦ったように作り笑いを浮かべた。その表情の変化に、嫌な予感がしたアデーレは指先を鳴らして結界を張る。後ろには侍従ベリアルが控えていた。彼を一緒に結界で包む。
何もなければそれでいい。だが咄嗟に張れば、結界に綻びが出る可能性もあった。常に準備は万全にすべき……夫がよく口にする言葉を思い浮かべたアデーレの警戒心は強い。
「私はただ城内の図書館の書籍をお借りしたいだけですわ。何か問題がございまして?」
「ええ。今日はお帰りください。明日以降、大公のどなたかが対応させていただきます」
「どうして今日ではダメなの?」
「……ではお伺いいたします。図書館の貸し出しは事前予約が必要ですが、確認が取れておりません。それに、入り口は向こう側でしてよ」
微笑むアデーレの口調は穏やかだ。大公夫人の肩書きに相応しい優雅さを失わず、しかし退かないと強く言い切った。リザベルの視線がキツくなる。
「城門地下牢の鍵なら、ここにはありませんわ」
「っ!」
息を呑んだリザベルの反応に、アデーレは確信した。鎌をかけた彼女の対応が予想外だったのだろう。飾ることなくリザベルは表情を変えた。地下牢に囚われたドラゴンを解放しに来たのだ。神龍と竜族には縁戚関係が多く、貴族同士の繋がりも強い。
ルキフェルが捕らえたドラゴンを解放する理由があるのだ。ならば魔王や大公の敵になる。アデーレの判断は早かった。突き出した右手に魔力を込めて音を鳴らした。ぱちんと指が響かせた音に惹かれて、コウモリが大量に呼び出される。吸血種の能力は夜に強くなる。だが元から強力な魔力を持つ種族ゆえに、昼間であっても十分すぎる強さを誇った。
血を代償に呼び出した眷属に、アデーレは淡々と命じた。
「目の前の獲物を捕獲しなさい。ただし、殺してはダメよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます