4章 報復は計画的に、忘れずに
50. リリスに犬と狼の違いはわかりません
魔王領を見渡す空の旅はリリスのお気に召したようだ。ずっとはしゃいでいたが、魔の森を抜ける頃には疲れてうとうとし始めた。小さな両手でローブを握るリリスの頬が、ぺたりとルシファーに押し当てられる。
「陛下、休憩いたしましょう」
アスタロトの進言に、彼の視線がリリスを見ているのだと気付く。確かに抱えられて飛ぶだけとはいえ、幼子にとって普段と違う行動はそれだけで疲れるだろう。気遣いが自然なアスタロトが声に出すなら、それだけ疲れた姿に見えるという意味だ。
魔の森の外側が近いこの辺りは、獣系の種族が多い。人族への対処や報告は魔獣達の重要な役割だった。
「わかった。この辺りは……セーレの縄張りか」
「そうですね。彼のところにお邪魔しましょうか」
頼むまでもなく、アスタロトは先に急降下した。彼の蝙蝠の羽は曲芸のような動きを可能とする。便利そうだなと見送った途端、リリスが目を手で擦った。
「ルー。アーは?」
「ん? 今は下にいるが……言葉が」
今までと違う。単語で切れていなくて、わりとスムーズに質問したような……?
「もう一度お話してごらん、リリス」
不思議そうに瞬いたリリスは、森の木々が立ち並ぶ足元を見てから顔を上げた。
「アーは? いないない」
確かに文章になっている。ルシファーは知らないが、保育園で一緒に遊ぶ友達に言葉が流暢な子が数人混じっていた。その子たちが貴族の子息や令嬢で、親の専門教育を受けていることも影響していたのだが。
「そうだな。賢いぞ」
これから戦場に赴くとは思えない柔らかな笑みを浮かべたルシファーが頬ずりし、リリスは欠伸をしながらルシファーの髪を握った。
「アスタロトなら、もうすぐ戻るぞ」
「上空でだらしない顔をしないでください」
苦笑交じりの声が聞こえ、アスタロトが空中で優雅に一礼した。足元の集落がある森を示し、誘導するように手のひらで指し示す。
「群れの長である灰色魔狼セーレに取り次ぎましたので、こちらへ」
頷いたルシファーが降下すると、冷たい風に驚いたリリスが慌てて黒髪のリボンを押さえた。ひらひらするレースのリボンが解けてしまうと思ったのだろう。頭を抱える仕草が可愛くて、笑いを堪えながら着地した。
「我が君、再びのご来訪こころより……」
「面倒な挨拶は省略しよう。セーレ」
ルシファーが拾った初代から数えて6代目のフェンリルは、小山ほどの身体をぺたりと地面へ伏せた。魔狼族を従える長の行動に、周囲の牛程もある狼が一斉にひれ伏す。ぱたぱた振られる尻尾が周囲の木々を大きく揺らした。
「久しぶりです。アスタロト様……と、以前の赤子ですかな?」
「そうだ。リリスと言う。可愛いだろう」
大きな口で話しかけるフェンリルへ近づき、ルシファーはリリスを彼に近づけた。小山ほどの狼の前に赤子を差し出す姿は、生贄のようである。大きすぎる狼に目を見開き、怖いもの知らずなリリスが手を伸ばした。
咄嗟にリリスを抱き締めて、握られそうになった髭を回避する。
「わんわっ! なでなで、わんわん。ルーっ!!」
「っあぶね。リリス、わんわんの髭はダメ。痛い痛いだぞ」
「ぃたいたい?」
「痛い痛いだ。そっとならいいぞ」
小さな手が無邪気に伸びたときも、我慢していたセーレが鼻を鳴らす。くーんと切なそうに声をあげて、小声で抗議した。
「我が君、以前も申しましたが……犬では」
「わかってる。悪い。でも、リリスに狼と犬の違いはわからないからなぁ」
苦笑いして、リリスを抱き込んだままセーレの鼻先に近づけた。
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