49. 城どころか国を傾けそうです

 翌朝、アスタロトは不機嫌だった。自慢の金髪で顔の左半分を隠した姿は、様々な憶測を呼んでいる。どこかの女性に叩かれたらしい、この噂が一番信憑性が高いと侍従達は考えていた。実は昨夜、城から帰るアスタロトがタオルで左頬を押さえていた目撃証言があるのだ。


「……おはようございます、陛下」


「おはよう……ああ、その……昨夜は悪かった」


「いえ、いきなりでしたから、きっと私も悪いのでしょう。お気になさらず」


 複雑そうに呟いたアスタロトと、いきなり謝ったルシファーの様子に『もしかしてあの2人?』とか『陛下をアスタロト大公が襲った?』などの憶測が生まれていく。しかし当人達は気付いていなかった。


 数ヵ月後に城下町で『アスタロト大公×魔王陛下』の薄くて高い本が発見されるまで、この噂は水面下でじわじわと広がっていくことになる。


 実際にはリリス嬢の裸を見せたくないルシファーが、タオルや着替えを持ってきてくれたアスタロトを反射的に叩いたため、頬が腫れた。ここまでが真実であり、何も色っぽい事情はない。


 中庭には見送りのベールやベルゼビュートが来ていたが、アスタロトの腫れた左頬に触れる勇者はいなかった。素直に尋ねそうなルキフェルはすでに保育園である。


「折角だから飛ぶか」


 転移で行く必要もあるまい。突然現れるのもいいが、恐怖を与える存在が徐々に近づく演出も悪くない。そう呟いたルシファーが翼を広げた。白いドレスのリリスが嬉しそうに声をあげる。


「ルー! リー、っしょ!」


 一緒だと必死で示す彼女の背中には、飾り羽根で作った翼があった。その愛らしくも必死な姿に、ルシファーが頬を緩める。とてもこれから砦を壊しに行く魔王には見えなかった。黒衣を纏った魔王のローブに包まれるように抱かれたリリスは悪魔に攫われる天使のようだ。


 無邪気な笑みを撒き散らしながら、周囲を魅了していく。そのくせ本人に自覚がないのは幼子だからなのか。愛されるのが当然だと思っているのかも知れない。


「本当に可愛いな、リリス」


 黒髪をポニーテールにして、白いレースのリボンを飾ったリリスはぎゅっとルシファーに抱きついた。愛し子の愛情表現に、黒髪にキスで返礼したルシファーがふわりと浮き上がった。


「ベール、あとは任せる」


「はい、ご武運を」


「お気をつけて」


 ベルゼビュートとともに見送るベールは、後を追うアスタロトが見えなくなったあたりで顔を上げた。人族相手に彼らが遅れを取る心配など不要だ。だから心配は一切なかった。


 見送りは儀礼のようなものでしかない。しかし……。


「将来、リリス嬢は傾城けいせいになるかもしれませんね」


「驚いたわ、あんなに可愛かったかしら。城を傾けるどころか、傾国けいこくかも知れないわね」


 騒動を起こす面倒な子として見ていたからか、可愛いと思う回数は少なかった。だがルシファーに無邪気に甘え、同じ姿だと訴える様子は本当に可愛い。ルキフェル至上主義のベールでさえ、素直に認めるほど彼女は目に見えて変わっていく。


「ルシファー様、大きくなったリリスちゃんを手放せなくなりそう」


「嫌な予言を残さないでください」


 上級精霊族ニンフ特有の予言めいた響きを感じて、ベールが呆れた様子で否定する。しかし現実になるだろうことは、彼も理解していた。

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