1113. 予言フラグ回収

 誰も手足を失うことなく、すべての下拵えが終わった。イフリートが提案した料理は、野菜と肉や魚の蒸し物だ。野菜や肉を一口大にカットし、蒸し器に並べるだけ。あとは沸かした鍋の上に蒸し器を乗せて待てば完成の、超初心者用料理だった。


 なのに、どうして関係者が床に崩れ落ちているのか。緊張から汗をかいたルーシアは水をがぶ飲みし、ルーサルカとシトリーも安堵のあまり涙ぐんでいる。レライエは婚約者の入ったバッグを背負っていたが、危険だからと離れた位置に移動させた。


 何がこんなに疲れたのか。ルシファーも取り出した椅子に腰掛け、ルキフェルはぶつぶつと何か呟いていた。精神的にやられたらしい。


 リリスが包丁を握る、ただそれだけだ。しかし魔王や大公、大公女に至るまで疲れ切っていた。意外にけろりとしていたのが、イポスだ。彼女は結界で手が切れないと安心しているせいもあり、リリスの切り方を近くで指導した。どう見ても指が切れそうな角度でも、気にせず刃を下ろす。そんな主君を微笑ましく見守る余力があった。


「イポスは肝が据わってるな」


 感心しきりで呟くルシファーに、イポスは結った金髪を包む布を直しながら、首を傾げた。


「リリス様は昔の私より、ずっと筋がいいです」


「……リリスよりセンスがない、って」


 ぼそっと零すルキフェルが戻ってきた。恐怖のあまり軽く現実逃避していたが、なんとか復活の兆しを見せ始める。そんな養い子の背を叩いて、髪を撫でてやった。もう幼児ではないが、効果は抜群だ。


「私が最初に大根を切った時は、動いたんですよ。逃げる大根を追いかけて、間違えて隣人の手首切りましたし」


 それ、普通にホラーだよね? 隣の家の人はさぞ怖かっただろう。包丁片手に襲いかかってくるイポス、その足元を逃げる大根……ん?


「逃げる大根?」


「後でわかったんですけど、マンドラゴラでした」


「アルラウネか」


 納得する。胴体部分は確かに大根と呼べなくもない。だが本人の前で口にしたら、間違いなく毒を投げつけられるだろう。女性ばかりの種族に「大根」表現はまずい。


 大根ではないなら、なおさら逃げる。必死で逃げたアルラウネがトラウマになっていなければ良いが。


「あれ以来、包丁を持つのを禁止された時期がありまして。仕方なく剣術を覚えたんです」


 何でもいいから切りたかったんでしょうね。微笑ましい幼少時のエピソード風に語られたが、恐ろしい娘だ。何かを切りたくて料理を始め、危険だからと刃物を親が取り上げたら剣術に走った。間違いなく危険人物認定すべきだろう。


 魅了の術を使って攻撃してきたと聞いた時は、こんな危険思想の持ち主とは知らなかった。だが、ルシファーはリリスの護衛役から彼女を下ろす気はない。主君を「切っていい者」と認識しなければ、何ら支障がないからだ。常にリリスには万全の結界を施してあるし、ルシファーはその点においてイポスを疑うことはない。もちろん彼女もリリスに攻撃の意思はなかった。


「なるほど、それで剣の扱いが上手いのね」


 ルーサルカが額の汗を拭って立ち上がり、イポスを褒める。この辺りも魔族特有の感覚だった。周囲には危険がたくさんあるのだ。今さら変わった性癖や趣味が発覚したところで、実害がなければ流されてしまう。大らかな種族が多い魔族ならではだった。


「では切り終えた食材を並べてください。肉と魚、野菜は混ぜないように」


 言われた通り、全員で食材を中に入れていく。蒸し器は全部で4段用意され、野菜2つと肉、魚で埋め尽くされた。それらを沸騰させた大鍋の上にセットしていく。上から蒸気が出ているのを確認し、イフリートは安堵の息をついた。


 ここまでくれば、残りは付けダレの準備だけ。調味料を混ぜるだけなら、爆発もないだろう。用意していたごま油や醤油などを並べ、量を説明してから一度手本を見せた。頷くリリスとイポスをよそに、大公女達はきっちり分量をメモする。それから個々にアレンジしながらタレを作り始めた。


 ……ドンッ!


 数秒後、魔王城の厨房は火に包まれていた。

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