1112. 料理は身近な戦場

 8日後――眩しい朝日の中、銀の鏡は完成した。作業自体は大した工程ではないが、凝り性のルキフェルが純銀にこだわったため、思うように形にならなかったらしい。彫刻し終えた鏡は、朝日を美しく反射した。曇りひとつない芸術品を前に、ルシファーは緊張の面持ちで前に立つ。


「うん、大丈夫。映ってる」


 ルキフェルの保証にほっと息をつき、鏡を曇らせた。慌ててルキフェルが磨き直す。魔法を使うと痕跡が残るため、手で磨いて仕上げたらしい。リリスも薄化粧を終えて鏡の前に立ち、興奮した様子で鏡面を指さした。


「見て、ここ! 歪んでるわ」


「え? どこ?」


 指摘されたルキフェルが神経質なほど確認してから、調整を始めた。ずっと使うわけではないので、そんなに真剣に調整しなくても……そう思うが、万全を期したい性格のルキフェルが譲らない。完璧に仕上げたと満足げに頷く姿は、もはや職人の域だった。


「これでアシュタを映すのね?」


「そうだ。映らなければ追及できる」


 気合を入れて拳を握るルシファーの隣で、ルキフェルは肩を竦めた。


「まあ。久しぶりに楽しかったからいいけどね」


 数十年単位で取り組む研究は、適度に息抜きが必要だ。他のことに夢中なときに浮かんだ、ふとしたアイディアが紐解く鍵になってきた。遊びでも真剣に取り組むことで、それなりに技術を磨いたり発想の手助けになるのだ。


「試すのはいつ?」


 今日は時間が空いてるんだけど。そんなルキフェルの誘いに、ルシファーが唸る。今日は大公女全員が集まり、イポスも顔を出す日だった。5日前にお預けとなったリリスの手料理実習があるのだ。今日を逃すと、また休日を調整しなくてならない。


「今日はお料理作るの」


 嬉しそうにエプロンを用意しながら告げるリリスに、ルキフェルは事情を察した。銀の鏡を自分の収納へ放り込み、大きく伸びをする。


「だったら実験は明日以降にして、今日はリリスの料理実習を見守るよ」


「もちろんだ。いつだってリリス優先だ」


 ルシファーも追従したことで、リリスの機嫌は上昇した。浮かれながらエプロン片手に部屋を出て、大公女達の私室の扉を叩いていく。準備が終わっていた彼女達が合流したことで、護衛のイポスが斜め後ろに控えた。完璧な布陣だ。


「よし。行くぞ」


 ルシファーとリリスを先頭に、ぞろぞろと廊下を進み階段を下りて厨房へ足を踏み入れる。が、入り口で男性達にストップがかかった。というのも、料理人の聖地である厨房に、エプロンや帽子なしで入れないというイフリートのこだわりだった。プリンの時もひと騒動あった。


「帽子と白い清潔な服……」


 考えながら選んだ白衣姿のルキフェルはあっさり通過する。ルシファーは長い髪を指摘され、現在リリスが三つ編み中だった。太い三つ編みを作り終えると、くるくる巻いて髪留めで抑えた。入浴の時でさえ、ここまで気を使ったことはない。


 エプロンではなく、上から羽織るタイプの白い上着で妥協してもらう。やっと厨房に入った時、すでにリリスは材料を切っていた。


「リリス様、指の位置がっ!」


「「きゃぁあああ!」」


 恐ろしいことに右手でしっかり食材の魚を掴み、左手の包丁で頭を切り落とす。まさかの左利きだった。それより問題なのは、魚を押さえる手の位置だ。明らかに刃の下に指があった。だが遠慮なく、えいっと勢いよく刃を振り下ろす。


 大公女達の悲鳴の原因はこれだった。だが、そこはまだ成婚前でも魔王妃リリス。完璧なルシファーの結界に守られているため、包丁が折れた。あらぬ方向へ飛んだ刃の先が、ルキフェルの結界を掠めて方向を変え、壁に突き刺さる。さらに追いかける形で、ルキフェルに風刀が飛んできた。反射的に天井へ弾く。


「びっくりしたわ」


「……私達のセリフですわ」


 ぐったりしながらルーシアが指摘し、指を丸めて添えるよう直した。どうやら料理は命がけの作業が続くらしい。結界があるとはいえ、包丁の刃先が飛んできたルキフェルは「びっくりした」と目を見開いていた。


 戦闘中と違い、警戒してない場面での空飛ぶ包丁は心臓に悪い。慌て過ぎて、ルキフェルに風の結界を張るつもりが刃を飛ばして攻撃した魔王は、申し訳なさそうに謝った。いつ物理的に首が飛ぶか。お料理実習は、戦場さながらの緊張感をもって進められることとなった。

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