1111. 事前に手を打つのが有能な部下です
標的に気づかれたかもしれん――曖昧にぼかした通信を、アスタロトは傍受した。といっても、盗み聞きしたのだが……。
「また何か騒動を起こす気ですね」
溜め息をついて後始末の準備を始める。魔王と魔王妃の位置情報は、逐次報告が入っている。中庭でアンナと話し込んだ後、ルキフェルを呼んで身振り手振りで何かを求めた。嬉しそうなルキフェルの様子からして、何らかの実験についてだろう。
この辺は通常通りだが、リリスと一緒に厨房へ向かったのは奇妙だ。お菓子作りならアデーレが同行するし、すぐに戻ってきたらしい。彼女がずれた鼻歌交じりにスキップしていたとの目撃情報を合わせると、近日新しい料理に挑戦する可能性が高いでしょうか。
驚くべき推察力で事情を掴んだアスタロトは、魔法陣を大量に仕込んだ本片手に厨房へ降りた。夕食の下拵えをするイフリートに尋ねた結果、予想は大まかに当たっている。仕方ない。イフリートの邪魔にならない範囲で、復元魔法陣を大量に埋め込んだ。
床、天井、壁はもちろんのこと、作業台や調理器具に至るまで予想できる範囲に埋めた。表面に貼っても、効果が薄いのだ。無駄な作業に思えるが、今後のことを考えれば最善の手だろう。何しろリリスの料理爆発率は実に70%を超える。調理場を新しく作り直す手間と費用を考えれば、魔法陣の設置の方が効率的だった。
設置を終えると満足して踵を返すが、出口で思いだして振り返った。イフリートは肉に塩胡椒してハーブを散らす作業に夢中だ。この室内でもっとも危険なのに、どうして見落としてしまったのでしょうか。苦笑いしたアスタロトが、イフリートに声をかけた。
「リリス様の手料理実習ですが、危険なのでこちらを必ず張ってください」
「結界、ですか」
「そうです」
福利厚生の一部なのだが。爆発に巻き込まれて取り返しのつかない事態になることを想定し、事前に手を打つのが側近の仕事のひとつでもあった。きょとんとした後、イフリートは受け取って笑った。
「ありがとうございます」
「ご武運を」
料理人に向けるには相応しくないが、この場合はもっとも似合う言葉を送った。アスタロトの姿が見えなくなると、イフリートと一緒に作業していた数人の料理人が囁きあう。
「アスタロト様って苦労人だよな」
「普段は細かいけど、ああいう人がいないと組織は回らないぜ」
「本当、陛下が自由過ぎるからな」
「「わかるぞ」」
頷きあう連中を後ろから小突いて、イフリートは受け取った魔法陣をエプロンのポケットに押し込んだ。今夜はルシファー様御所望の唐揚げだ。転がされたコカトリスの冷凍肉はすでに毒抜きを終えている。
「唐揚げの準備だ」
「「「はい」」」
2人掛かりで肉を解体し、その間に油が熱せられる。衣を用意したイフリートが、慣れた手つきで肉を揚げ始めた。炎の精霊族というのは熱にめっぽう強い。菜箸もなく素手で揚げていく上司の隣で、部下は柚子ドレッシングの準備に取り掛かった。
魔王城には数多の種族が勤めているため、肉が食べられない種族のために菜食料理が用意され、その隣では特殊な食べ物を摂取する種族用に霞や石まで並べられた。魔王や大公といった上位の人以外は、食堂で一斉に食べる。ビュッフェ式に並べる料理の総数は、50種類を超えた。
大量に並んだ料理を前に、料理長イフリートは満足そうに胸を張る。この厨房はイフリートの城だ。破壊されても復元できる魔法陣の設置で、後顧の憂いは消えた。思う存分、魔王妃殿下に料理を教えられる。気合の入った上司の後ろで、部下は不吉な予言を残した。
「……嫌な感じがするんすよ」
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