1110. 近づくXデーの足音

 お料理を作ると興奮状態のリリスに、イフリートは注意深く言い聞かせた。大公女が4人揃い、護衛もついている日にすること。2日以上前に予定を知らせること。材料や調理器具はイフリートが用意した物を使い、自分で調達しないこと。危険なので火加減はイフリートに任せること。結界は完璧に張ること。


 すべての条件に頷いたリリスは、嬉しそうに喉元で手を重ねた。祈るように指を組み、くるくるとステップを踏んで回る。腕の中で自由にさせたルシファーが、そろそろかと頃合いを見て捕まえた。


「よし。これで決まったな」


 リリスの手料理を食べるXデーは、少なくとも2日以上後の側近全員が揃う日だ。頭の中で彼女らのスケジュールを確認する。少なくとも3日間は猶予がある。


 銀の鏡はいつ頃出来上がるだろうか。機嫌の直ったリリスを連れて自室に戻る。書類の整理は明日でいいだろう。リリスのお昼寝の時間……開こうとした扉の前で嫌な予感に足を止めた。


「どうしたの? ルシファー」


「この扉の向こうに邪悪な何かが……」


「ふふっ、そんなに褒められたらお礼をしなくてはいけませんね」


 内側から開いた扉、見慣れた自室にいたのはアスタロトだった。びくりと肩を揺らして、咄嗟にリリスを抱き締める。彼女さえ奪われなければ、と結界を追加展開した。


「随分と過大評価していただいたようで、配下として嬉しい限りですよ」


 絶対に思ってないだろ。そう言い返したいが、今逆らうのは危険だと本能が訴えていた。じりじりと後ろに逃げる魔王を、側近が追い詰める。緊迫した場面の2人の間をコボルト達は通過した。彼らにとってごく普通の日常風景のひとつだ。また騒動を起こしたのか、くらいの認識だった。


「あ、陛下失礼しますよ」


 ベリアルが衣装を運びながら駆け抜け、行き違いにフルフルが新しい食器セットを乗せたワゴンを押して通る。緊張感が薄れる光景に、ルシファーの肩から力が抜けた。


「……うん、まあいいや。何か用があったのか?」


 まさか銀の鏡の件ではないだろうな。最近アベルと仲が良いようだし、うっかりバラされたら悪戯する前に叱られる最悪のパターンになる。自分が失言しないよう、最低限の対応を心掛けるルシファーは尋ねた。これなら自分からバラす心配は減る。手料理で頭がいっぱいのリリスも心配ないだろう。


「いえ、特に急ぎではありませんが……こちらの書類を片付けていただきたいのです」


 数枚の書類なので、受け取って室内に入りながら目を通す。問題ないと判断し、机に置いた。


「それと」


 腰掛けた椅子の上で、揺れそうになった肩を押さえて深呼吸した。大丈夫だ、何もバレていない。自分に言い聞かせるルシファーの膝に、リリスが座った。赤子の頃から連れ歩いているが、最近は少し重くなった。それを指摘するのは無粋なので、口を噤む。


「まだ書類があるのか?」


 上手に誤魔化すことができたのは、膝に座ったリリスが純白の髪を弄る姿を見ていたからだ。もしアスタロトを見ていたら、焦って自爆しただろう。探るようなアスタロトの態度を見ずに、ルシファーは書類に署名して押印を重ねた。差し出しながら、笑顔でアスタロトに応じる。


 わずかな時間的余裕が、心の余裕に繋がった。


「いえ。失礼いたしますね」


 頷きながらリリスの黒髪を撫で、彼女を抱き上げて隣室へ移動する。ゆったり歩いたように見えて、実は逃げ込んでいた。


「び、っくり、した」


「アシュタはカンがいいし、ルシファーも今日は頑張ったわ」


 よく分からない上から目線で褒めるリリスをベッドに座らせ、その手前の絨毯に座って彼女の膝に頭を乗せた。なんとかバレずに乗り切れたルシファーは、危険の警告をするためにルキフェルへ連絡を取る。それこそが罠だったとも知らず……。

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