101. ママはいらない
部屋に戻る頃には、リリスがやたらと動いていた。起きているのだが、離れようとしない。首に回した手を必死で掴んでいる姿は、痛々しくて哀れだった。これほど怖がらせた連中を、捨てる程度で済ませた罰は軽すぎたと眉をひそめる。
綺麗に元通りになったヤンの上に下ろそうとしても、嫌がって首を横に振る。
「リリス、パパがそばにいる。怖くないぞ。ヤンも護ってくれる」
「パパ……リリスね、ママはいらない」
やっと声を聞かせてくれたが、なんとも反応に困る。リリスが知るママとは、保育園で一緒に遊ぶ友人達の母親だろう。優しくて温かく包んでくれる存在と認識していたはずだ。
しかし集まった女達の「ママになってあげる」や「ママが欲しいでしょう」の問いかけに、恐怖の存在に変わってしまった。僅か3歳の幼児をここまで怯えさせるような対応をしたなら、この手で八つ裂きにしても足りない。
「そうか……パパもリリスだけいればいいよ。だからママは要らないね」
リリスの黒髪に唇を押し当て、篭もった声で語りかける。絶対にリリスに誤解させないように、言葉は否定なしで肯定した。頷くリリスの動きを確認して、ようやく顔を覗き込む。
目元は真っ赤になって、涙の跡がまだ残っていた。アスタロト達が戻るまでまだ時間がありそうだ。丸くなったヤンの耳の付け根を掻いてやり、伝言を頼んだ。
「リリスとお風呂にいくから、アスタロトが来たら待たせてくれ」
「承知いたしました」
ぶんぶん尻尾を振るヤンが元の大きさに戻る。以前より広くなった魔王の私室を通り抜け、風呂にリリスを下ろした。ぎゅっと裾を握る姿が可愛くて、目線を合わせてしゃがみこむ。湯を張りながら、脱衣所に座り込んだ。膝の上にリリスを乗せて、ワンピースを万歳で脱がせる。
「よし、パパの服はリリスに任せる」
「うん」
頑張る愛娘の手助けをしながら手早く裸になると、リリスを抱っこして運ぶ。いつも通り髪を洗い、身体を洗って湯に浸かる。普段と同じ手順に安心したのか、湯の中でリリスの緊張が解けた。強張った身体を解すように伸びをする。
「リリス」
「なぁに、パパ」
今言うべきか迷うが、不安にさせるよりマシと思い切った。背中を預けていたリリスを向かい合わせに直し、赤い瞳を正面から見つめる。
「さっきの人達はパパのお嫁さんになりたかったんだ。でもパパはリリスが一番だから、お嫁さんはいらない。リリスのママもいらない――わかるか?」
「うん」
「アスタロトやベール達以外に呼ばれても、ついて行っちゃダメだぞ。いつもの4人以外がパパの名前を使って声をかけてきたら、すぐに逃げるんだ。これはパパと約束、指きりだ」
「指きり!」
指切りを行って約束をした後、リリスはまだ指切りした右手を揺らしていた。久しぶりの真剣な約束が嬉しいらしい。やっといつもの可愛い笑顔を見せてくれた。
噛み砕いて説明したのは、自分の手を離れた場所でリリスに変なことを吹き込む輩を心配したからだ。真っ直ぐに素直に育ってきたリリスは、ルシファーのためだと言われたら信じてしまう可能性があった。自分が嫌だと思っても、我慢するかも知れない。
子供だからと誤魔化すのは危険だった。きちんと目を見て説明したルシファーに対し、リリスは手を伸ばしてルシファーの頬に触れる。何か考えている様子なので、根気強く待った。少しして、幼子は迷いながら口を開く。
「あのね、パパ」
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