997. 鏡を見るようで不愉快です

 魔族の中で最も人族に近い存在を尋ねられたら、アスタロトは溜め息を吐いて自らの種族を告げるだろう。狡賢さも他者を陥れることを躊躇わぬ性質も、すべてが人族に近い。この能力を主君のために使うか、己の欲望を満たす道具とするか。そこを境目として、アスタロトは吸血種を篩に掛けてきた。


 より厳しく同族に接する吸血鬼王の口元が、緩く弧を描く。隠れた獲物を見つけるのは、狡猾な種族が得意とする分野だった。羽を広げた同族が空を舞い、仲間同士で情報や視界を共有する。


「だからあなた達が嫌いなのですよ」


 命乞いをして我が子を身代わりに突き出す男の首を一太刀で落とした。利己的で、自己中心的な人族――見れば見るほど。


「鏡を見るようで不愉快です」


 ここまで腐っていないが、吸血種はいずれ滅びるべきだ。人族同様、情や優しさを踏みにじることに快感を覚える種族など、この世界で百害あって一利なし。自らを断罪するように呟き、後ろで震える女に剣先を突きつける。喉を突こうとした剣を、さきほど突き飛ばされた子供が掴む。


 両手が切れる痛みに悲鳴を上げながら、逃げろと母親を守る。本当に、嫌になる程似ていますよ。同族嫌悪と言いますが、吸血種が人族を嫌うのは己の醜さを写す鏡を割りたくなるのでしょう。踏みにじって自分は違うと叫びたい。


 不快さが増すほどに口元の笑みは深まった。長く生きると歪みは矯正できなくなる。アスタロトは自虐的にそう呟くと、剣を一気に押し込んだ。


 息子に庇われても己の命乞いを優先した母も、我が子を差し出して逃れようとした父も。子供は親を選べませんからね。両手の指を落とされ絶叫する子供を一息に貫いた。


 見上げる空は青く、どこまでも透き通っていた。浴びる陽射しが痛いほどだ。周囲を駆ける一族が、捕らえた獲物から血を摂取する。吸い上げる音が響き、生きた獲物が断末魔の叫びを放つ。阿鼻叫喚の景色を目に焼き付け、右手の剣へ視線を落とした。


 虹色の刃は主のお気に入りだ。返り血を丁寧に拭い、ひとつ深呼吸した。この国の王はどう足掻くか。くつりと喉を震わせて笑う。


 血塗れの石畳を、黒いローブを揺らして歩く金髪の若者は美しかった。自己嫌悪も己への懺悔も飲み込み、赤い瞳が同色の景色を反射する。人形のように整った顔に浮かんだ作り物の笑顔が、死に行く人々の最後の記憶だった。


 門番を一閃して片付け、大扉を開く。踏み入ったアスタロトに斬りかかる者を、駆け寄った同族が爪で切り捨てた。護衛のように付き従う配下に頷き、アスタロトは玉座の広間に踏み入る。両側から襲ってきた人族を、羽虫を払うように処分した。虹色の刃を濡らす赤に眉を寄せる。


「国王はどれです?」


 玉座に腰掛けるのは、まだ若い少年と呼んで差し支えない子供だった。この国は年老いた男が王だったでしょう? 昨日まで座っていた玉座を、いつ渡して逃げたのやら。そこまでして生き残るほど価値のある男でもなし、そもそも残り少ない寿命なら子孫を逃すべきでしょう。そう考える種族なら、このような状況に陥っていませんが。


 口を開こうとした子供を氷漬けにする。痛みも恐怖もなく見開いた目を閉じないまま死んだ子供に、残っていた数人が悲鳴を上げた。女子供が多い。守るべき妻や子を捨てて逃げた状況に目を細め、後ろに従う配下に命じる。


「すべて排除しなさい」


「承知しました」


 逃げた国王や側近を狩り出せ。間違いようのない命令に、彼らは素直に従う。


 震える女性は着飾っていた。彼女のベルトはラミアの革、耳飾りの羽はハルピュイアの翼、爪を染める花の汁は薬花の一族か。自らの身に巻き付けた毛皮が、幼い角兎の子供から生きたまま剥がれたと知ったら、この女は何を言うのか。少しだけ興味を惹かれた。

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