998. してやられました

「私が望んだんじゃないわ! 知らなかったのよ」


 予想に違わぬ返答に、アスタロトは笑みを深めた。いっそ優しく見える笑顔で近づき、王妃の地位にあった女が足元に縋るのを許す。しがみつく指先が、慌てて自らの身に纏う装飾品を外した。


 ラミアの集落が襲われたのは数年前、迷い込んだ人族を泊めたら生きたまま皮を剥がれた。下半身の鱗を奪われた彼女は、涙を流して我が子を案じた。同族が願いを受け止め、苦しむ彼女は力尽きる。そんな悲劇を知らないで済ませる女……なんて愚かで哀れな生き物か。


 己を着飾る道具ひとつ、その由来すら考えない。角兎の子の悲鳴を聞いたエルフが見たのは、喉を貫かれた幼子の死体。囚われたハルピュイアは人族に友好的だった。その信頼を裏切って地下牢に繋ぎ、炎で炙って羽根を奪う。様々な悲劇の上に飾り立てた姿は、ひどく醜かった。


 表面の皮しか見ない人族らしい言い訳でしたね。アスタロトに許されたと思ったのか、女は身体の力を抜いて安堵の息を吐いた。屈んで整った顔を近づければ、頬を赤らめる。これ以上ないほど醜く、即物的な魔物。


 同情も容赦も不要だった。


「あなたが許される方法がひとつだけ、あります」


 意味深にそう告げれば、勘違いした女は甲高い声で甘えた響きで擦り寄る。


「私はあなたなら……」


「そうですか。それは嬉しいですね」


 誤解を増長させて、アスタロトは右手の虹色の刃を振るった。両手首を切り落とされ、女は驚きに目を見開く。追いついた痛みと熱に聞き苦しい悲鳴をあげた。


「私になら、殺されてもいいのでしょう?」


 違うと首を横に振る女の体を蹴り飛ばし、踏み付けにする。大量の血を流す腕を伸ばす姿に、アスタロトは指先を伸ばした。助かると希望を得た女を絶望へ落とすために、その口元は優しそうな笑みを絶やさなかった。


「全部の苦痛を味わわせるのは無理なので、女性繋がりでラミアと同じ目に遭ってもらいましょうか」


 魔法陣を使えば一瞬の作業を、わざわざ剣と己の手で行う。皮を剥ぐ作業の途中で、人族が口にした言葉をそのまま投げかけた。


「知っていますか? 生きたまま皮を剥ぐと、綺麗に仕上がるそうです。死ぬと裏に肉が残るとか……人族から聞いたのですが本当でしたね」


 雑音でしかない苦痛の声を無視して、一通り作業を終えたところで放り出した。まだ息がある。意外と人族の生命力も侮れないものです。感心しながら汚れた手を丁寧に拭って、真っ赤な肉塊の上にハンカチを捨てた。


「アスタロト様、街の制圧が終わりました」


「取りこぼしは許されません。二重三重に確認しなさい」


 王城で遊んでいる間に、逃げた国王や貴族を含めた住人の処分は終わったらしい。足元で虫の息の女の喉を貫き、汚れた足元に眉を寄せた。


「人族の処分はいつも汚れますね」


「魔法陣を使わないからでしょ。もう! あなたの配下があたくしの獲物を齧ったわ。その分を補填してちょうだい」


 目の前で吸血種に獲物を奪われたと怒って飛び込んだベルゼビュートを振り返り、血塗れの吸血鬼王はくつりと笑った。


「取られる方が悪いのでは?」


「そう。だったら、あたくしが奪っても文句を言えないわね」


 反論ではなく、確定した未来を告げるベルゼビュートの言い方に、まさか? と呟く。声にならない呟きを拾った彼女は満面の笑みで頷いた。


「先にいくつかの国を頂いたわ。あたくしの僕は各地にいるのよ」


 精霊は数が多い。個々の能力は低いが、ありとあらゆる場所に存在した。種類が一番多い種族でもある。精霊女王たるベルゼビュートの命令ひとつで、あっという間に集まる結束力も侮れなかった。


「アスタロト様! 精霊が……っ」


 飛び込んだ配下の報告に、アスタロトはしてやられたと額を押さえる。足元の女で遊んでいる間に、2つの国を掠め取られていた。

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