996. そこに容赦は必要か?

 足元に広がる害虫の巣を壊すのに、躊躇う者がいるだろうか。蟻塚のように積み重ねられた建築物が崩れ、中から飛び出す者を踏み潰す。そこに容赦は必要か?


 エドモンドは口元を歪めた。ようやく陛下のご裁可がおりたのだ。遠慮なく、完全に滅ぼして構わない。生き残りを出せば、害虫はすぐに増える。繁殖力旺盛な種族へ炎のブレスで焼き尽くした。


「エドモンド、この城は任せます」


「承知しました」


 息子や一族の者が迷惑をかけた。当代で貴族の称号を返上しようとしたが、魔王陛下は受け取ってくださらなかった。過去の当主達の想いと、我が忠誠にかけて……与えられた仕事をこなして見せよう。どの種族より確実に、徹底して。あの方へ返せる唯一の恩返しだった。


 ぐぎゃあああああ! 同族が咆哮をあげ、興奮しすぎた気持ちを散らす。事前に言い含めたエドモンドの言葉が生きている。この戦いは殲滅戦だ。敵を多く倒すことが目的ではなく、敵をすべて排除することが求められた。


 一匹たりとも逃さない。その覚悟を示す竜が、竜巻を起こして建物を瓦礫に変える。地下に隠れようと、建物の隅に逃れようと関係なかった。ほんの僅かな呼吸音を辿り、消えそうな魔力の欠片を見つけて辿る。


 吸い込んだ空気を灼熱に変えて吐き出す。瓦礫や土が溶けるほど熱した大地が、どろりと形を変えた。隙間から地下に作られた逃げ道に流れ込み、王族を捕らえる。悲鳴を上げる間もなく熱に蒸発した獲物は、骨すら残らなかった。


「裏側に回り込みます」


「任せる」


 竜は他の種族に比べれば、大雑把だ。体が大きい分だけ豪快で派手な戦いを好む傾向があった。だが掃討戦でも力を発揮するのは、魔王軍に所属する以上は義務だ。焼き尽くした王城を確認し、上空を旋回しながら徐々に範囲を広げる。貴族街と呼ばれる住宅地に火を放ち、逃げ惑う人族を追いかけた。


 悲鳴が木霊する街の片隅で、子供達は互いを庇うように丸まる。見つけた魔狼は唸るが、命令は殲滅だ。そこに私情を挟む余地はなかった。


「行きなさい。私が対応します」


 ベールが魔狼の首の毛を優しく撫でる。困惑した様子ながら、平伏して下がる狼が足音もなく走り去った。怯える子供を前に、美貌の主は優しく微笑む。


「次は魔族に生まれてきなさい」


 この世界で死ねば、異物である人族の魂も魔族に生まれ変われるだろう。そう慰めを口にした男は、子供達を魔法陣で眠らせた。二度と目覚めない眠りに沈んでいく痩せた子供を見守り、ベールは空を見上げる。


 青く澄んだ空に白い雲はなく、上空の強い風が雲を押し流していた。人族を排除する魔族のように、世界は常にひとつの方向へ流れる。


 弱肉強食――魔族では当たり前のその習いを、人族だけが理解しなかった。世界の異物であっても包み込んで、生きることを許した魔の森の温情を無碍に払う。母なる魔の森に命も魂も帰れば、この世界の一端を担う存在になれただろう。


 情け深い魔王と魔の森に逆らった以上、罪がない子供であろうと見逃す気はなかった。ベールは街を走る魔獣が躊躇う敵を滅ぼしながら、養い子を思い浮かべる。


 あの子はきっと迷わない。


 顔を向けた先に教会の屋根が見えた。まだ形があるなら、遊んでいるのだろうか。なぜか無性に会いたくなって、ベールは進路を遮る建物を壊しながら真っ直ぐ街を駆け抜ける。


 魔熊の背を飛び越えたところで、教会の建物はぐしゃりと崩れ落ちた。瓦礫を押し除けるようにして咆哮をあげた竜は、空以上に美しい瑠璃色の鱗を閃かせて振り返る。全く迷いも躊躇いもない瞳が瞬き、瞬時に青年の姿に戻った。


「次の街に行こうよ」


 無邪気に続きを強請る姿は子供の頃と同じ、ほっとしながらベールは頷いた。

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